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海がすぐそこの半島部の小規模校に勤務。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 2016年に「教室『学び合い』フォーラムin宮城」を仲間と共に実施し、「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定、教育実践研究サークル「あすみの会」事務局。

「喜びや悲しみなどの感情を分かち合う」こと

 

 天気がいい週末。
 
「地域と共にある学校」そして石巻市コミュニティスクールとしてスタートをする勤務校にとって、教師自身が「地域を知る」「地域の中に入る」「地域を肌で感じる」ことは学校の方針としても、とても大事だと考えているところ。


 行ってみないと、見てみないと、触れてみないと、話してみないと分からないことって実はたくさん。「分かったつもりにならない」は子どもも大人も同じ「学び」に対する基本姿勢として大切にしたいことです。

「こんな時だからこそ、今しかできない学びをしよう」は子どもも大人も同じこと。この日は、都合のつく小中教員と支援員さん、この日来てくださっていたカウンセラーさんも一緒に雄勝町の、雄勝の最高峰、硯上山(けんじょうさん・520m)へ!

 硯石の産地である雄勝町ならではの名前ですね。


 (震災前の旧雄勝小時代は、麓から2~3時間かけて登ったなあ…)
と以前を思い出しながら登りました。


 みんなであれこれおしゃべりしながら登るのにちょうどいい道です。ちょっとだけきついのは最後の100mほどだから、あれこれ話しながら登ること自体に意味があると私は思っています。
 見つけた木々や葉、花のことはもちろん、子どもたちのこと、学校のこと、それぞれの趣味のこと。歩きながらおしゃべりする、こんな時間は本当はとっても大事だなあ、と思います。どうでもいいようなことだって実はお互いのことを知る大事なおしゃべり。それがあるから、一緒に困難なことだって協力してやれる、そんなベースになるからです。
    
    
 登ってみよう、と決心するまでは
「なんか億劫だなあ…」
「ほかにやることがあるんだけどなあ…」
と感じた人もいたかもしれません。それでも、この機会に雄勝の山に「登ってみた」という事実、みんなで登ったね、というそれ自体に意味がある、意味があるようにしたい、そんな気持ちです。子どもたちの「学校行事」みたいですね笑。
           

 最後の急坂を登り切ると、ぱっと視界が開けます。山頂です。
ぐるり360度が見渡せ、東に雄勝半島、太平洋、雄勝の町並みが開けます。左は石巻市内、仙台平野もかすかに。まだ雪をかぶった栗駒山も遠くに見ることができます。

「わあー、すごーい!」
と声をだしてくれたのは女性のある先生方。パッと場が華やぎます。
 そこから、みんなで
「ああ、すごいねえー」
「あっちはどこかな?」
「市内の日和大橋も見えるね~」
「あれって金華山?」
「最後、疲れたね~笑」
そんな風ににこにこおしゃべり。
    
   
「わあ!すごーい!」」
そうやってタイミング良く感情をぽんって表現できるところが、その先生方の圧倒的な強みであるなあ、と感じた瞬間。その一言を発してくれることで、きっとその場のみんなの「感情の共有」がぐいっと図られのではないかとさえ思えます。


 イエナプラン教育に興味があり、そこから学ぼうとしている私がその時ふと思ったのは
(あれ?これって『催し』だな…。これも『催し』ってことじゃないのかな?)
ってこと。

 イエナプラン教育や「催し」についてはコチラ
https://www.japanjenaplan.org/


 この「硯上山に行こう」の企画は結構急に決まったこと。もちろん、コロナ禍でこんなに臨時休業になるなんて想定外だったし。それでも、
「学校再開となったときに備えて、今私たちがこれからの教育活動に向けて準備しておきたいこと。そして今だからできること」
と考えた時に
(よし、これだ)
となってのもの。

やってみたら、体験してみたら
「これ『催し』になったなあと。

 簡単に言うと、「喜びや悲しみなどの感情を分かち合う」のが「催し」。そして「自分は一人じゃないな」と感じられる瞬間や場。
 実はそれって日常の中にたくさん紛れ込んでいるもです。その紛れ込んでいる「催し」をまさに
(ああ、感情の共有ができたなあ…)
と感じられる時になるかどうかってことかな、私は感じました。


〇共感の思い
〇喜怒哀楽を共にする
〇自分がたった一人で生きているのではないことを感じ取れる
〇人間は、同じような出来事に出合うと、同じような感情を持つのだという確信も持てるようになる
(以上「イエナプラン実践ガイドブック」)

 
 きっと、「特別な何か」イコール「催し」ではないかな。
特別な何かにする、そんな営みが「催し」かも。特別な何か、とは
「うんうん、そうだね!」
だったり
「わかるわかる!」
だったり。一緒に黙って寄り添うことでもあったり。

 決まった場、設えられた場、時間の中だけで「催し」は行われていない。(当たり前)
その当たり前のことに気が付かされます。


 自然な日常の時間の中での毎日の感情の共有、小さな「催し」。それをつないでいく。

 

 山頂についた時の
「わあ、すごい!」
「きれい~」
その発語ができること。それを聞いて安心するメンバーがどのくらいいただろかということ。
(ああ、私もそれがいいたかったんだよね)
(私も、同じこと言いたかったんだ~)
(来てみて、よかったな。)


 それをその場を見ていた私は感じることができました。


 それが
「ああー疲れた~!笑」
でもいい。心からの感情表出であればいいってこと。

 ああ、「催し」ってこれか…これがあっての、「設定した催し」も成立するってことかー。

 他者はどう感じているのか、思っているのか、実は人ってそんなところにアンテナを張っていて、そこが分からないと不安になるんじゃないかと思います。そんな時に、すっと自分の感情を表現してくれる人が周囲にいると安心するんじゃないかな、と思います。少なくとも私はそう。
 プラスにしてもマイナスにしても、どう思っているのか分からないのは、やっぱり不安だから。
    
     
 そうすると、来週私がすることは
「では、硯上山登山の振り返りをします。」
ではないなあ。
「先週の硯上山登山なんだけどさ~(^^)」
「最後つかれたねー」
「でも登ってみてよかったねー、私は面白かった」
とか、素直に自分の感情を出せばいいってことなんだな。
    
     
 素直に自分の感情を出す、それだけでいいんだな。


 私は、何度目かの硯上山だったけど、やっぱり、登ってみてよかったから(^^)


※今年のイエナプラン教育全国大会のテーマは「催し」です。告知は6月に入ってから正式に行う予定です。

 

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