■スタート地点と、その先、その広がり
あることがきっかけで、私が初任の時にお世話になった地域に行く機会がありました。
(あること、もそれはそれでなかなかのドラマティックなことなんですけど笑)
震災で大きな被害を受けてしまった地域で、初任校ももう閉校になってしまいました。
漁村地域。そこで、震災後、また新たに漁を再開し今も課題をもってがんばっているかつてのクラスの子、彼に会いにいったのです。形的には、彼のホヤ養殖作業の準備や手伝いをする、って名目だったんですけど笑。
彼の操舵する船で海にでました。彼が海中から引き上げたかごからは、牡蠣がたくさん。その潮の香りから、もう何十年も前の記憶がよみがえります。船上で、いろいろ昔話をしたりしていると、そのころ出来事や感覚がつい昨日のようにも思う浮かんできます。そして、かつての自分の浅はかな考えだったり、力不足が招いたであろうことも同時に思い出され
(ああ…)
とも思ったり。
まあ、当時としては自分なりには一生懸命やっていたこととはいえ、もっと十分なことができたよなあ、と思うこともあったりします。一方で、分かってないからこそできる純粋さでやっていたこともあり、かえってそこに原点も感じてみたり。
彼も含め、話の中で出てくる当時のメンバーの近況を聞くにつけ、それぞれが自分の人生を力強く進んで行っていることが分かります。
「ああ、あいつは今、結婚して〇〇で漁師してますよー」
「〇〇は、今仙台で~」
みたいに。
(ああ、みんなこの間、いろんなこともありながらも自分の生活をしっかり創っていっているんだなあ…)
と感じます。
うれしいことです。
「その子」も「その子」もどの子も、その先の人生があるんだな。今、も含めてその先の長い長い人生があるということ。これからを力強く進んでいける基盤になるかもしれない一人一人の「今」に私はどう関与できるのか?そういうことなんだな。
その後も、生まれたばかりの赤ちゃんを連れた、私が新任時のクラスの子(彼のお姉さんなんだけど)にも再会することができが、それもとても嬉しい出来事でした。
かつての子どもたちの頑張っている姿や今の幸せそうな姿を見るに付け、現在向き合っている子どもたちにも同じ「これから」があるという、本当にあたり前のことをまたもう一度、きちんと思い描くことができました。
教員としてのスタートの場所を訪れた意味を感じた、そんな大切な1日。