卒業アルバムに入れる作文を書いていて。
私がオープンクエスチョンでインタビューをしながら、構成メモをつくるスタイルで。
「6年生になって、楽しかったことや、頑張ったこと、自分が変わったなあ、と思うことというと?」
〇君、
「やる気、ですかねー」
「というと?」
「今年になって、自主勉とかを頑張るようになったんですよねー、なんか。前までは興味なかったんですけど、今はなんか夢中ですね。」
「もう少し詳しく教えて?」
「はじめのころ、全然宿題って無かったじゃないですか。」
「うんうん」
「それでヒマだったんですよ。」
「そうなんだー」
「それで、物理のこととか文具のこととか調べだして、マンガも描いたりして。それで、あと仏教のことなんかも調べたりして。」
「そうだったねえー!」
「それに…」
「うんうん」
「授業の仕方が変わったじゃないですか?んー、ほら、ゆっくりはいるっていうか…」
「ん?」
と私。
「あー、先生が言うじゃないですか、よく。『じゃ、緩やかに学習に入っていきましょうか。』って。あれです。」
「どういうこと?」
「えっとですねえ、なんかそうやって、ゆっくり入るとなんかやりやすいんですよね、例えば前に使った物とかを片付けなきゃいけないときなんかとかも、焦んないで済むんですよ。そういうときに『速く!』なんて言われると混乱してしまうけど、そういうのがないから普通に始められるし。」
「へえ、そうなんだあ。まあ、私の場合は、授業の始めも終わりも、いわゆる『起立、礼』とかってないもんねー、あはは」
そうか、こういうことだけでも、子どもによっては「学習のしやすさ」につながるんだなあ。
私は、あんまり
「ここからが授業」「はい、授業終わり」
っていうのはちょっと、「なんかそういうもんじゃないよね?」
って気がして、そこに明確な線引きはしないタイプ。
だって、生活の中に学びがあると思っているし、そういう流れをつくりたって考えているから。
なるべく1日に生活の中に学ぶことも溶け込ませていきたいって思っている、ともいいえるかな。「授業時間」は特別なことでも特別な時間でもないっていうか。
だから「勉強しなさい」なんてことも基本、言わない。
でも「学ぼうぜー、だって面白いじゃん」「楽しい、大事」とは言う笑。
「練習はしようよ。練習は続けると、『たのくるしい」になって、それが面白いになっていくからさー」
とも言うなー。
遊びとか学びとか、休憩とか授業とか、そんなに分けなくても別によくて、そもそもそれってひとつの塊?広がる宇宙?みたいなもんだと(大げさにいえばね)って感じているんだなー。
それにしても、けっこう無意識に使っていた
「じゃ、緩やかに学習に入って行きましょうか?」
って言葉、こんなふうに感じてくれていて、それはうれしいな。