手放す難しさ、怖さ、みたいなものもあるなあ、と思う。
うれしい、楽しい、気持ちいい、居心地がいい、受け入れられている…
様々な「快」の状態にずっといたいと思う。
でも、ずっと「そのまま」というのは、きっと無いんだな。
美味しいものも、ずっと美味しいままではないのと同じこと。
いつかは手放し、循環のサイクルになっていかないとその「快」自体も長続きはしないってことだと思う。
次のレベル?の「快」にいくには、ちょっとした「不快」を通り過ぎる体力(心も体も)だったり、覚悟だったりがいるんだろうなあ。
いろんなものやことを手放す時期。
だから、今次のちょっとした「不快」に突入するできる「体力」をみんなで温め合うあって溜めていく、そんな時期かな、3月。