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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

責任

 武田信子先生の言葉から。

https://www.facebook.com/nobuko.takeda.5

 

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今日は東京は涼しいです。
(いくつものメッセージが重層的に入って、
 ちょっと読みにくい文章になってしまいました。
 何はともあれ、9月1日にお会いしましょう)
戦争は、
始まったのではないのです。
始めたんです。始めるに至るプロセスの中に、
みんながいたんです。
私たちがもしその時代に生きていたら、
今の私の持つ力で、何ができたでしょう。
今、生きている私は、
どこに向かう道の上に立っているのでしょうか。
戦争をしたいと思う人は少ないけれど、
戦争の方向に引きずられる人が大多数です。
心の中で何となくしたいと思っている人や
いざというときにはしなくてはならないと思っている人は
少なくなくて、
何かというときには、
そちらの意見の方が強くなります。
だから、私は、
受験に強かったり、
お金を儲けたり、
有名になれたりする、
優秀な人を作ることよりも、
戦争を止めることのできる大衆を作ることが、
教育の大事な役割だと思うのです。
そのような教育ができる人を作ることが、
教員養成の大事な役割だと私は思うのです。
「あなたが育てたくない人は、どんな人ですか?」
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 「本当はそうしたく無かったんだけどね。」
「本当はそうなりたくなかったんだけどね。」
「本当は、違うと思ったんだけどね。」
 
 そして、最後に
「仕方がなかったんだよね…」
ってなってしまう。
 
 これは自分を省みても、けっこうあるあるです。
 
 
 一方で、最近思うのは、
「それでもそれを選択してきたのは結局自分だな…」
ってこと。無理矢理させられるなんてことはほぼ無いわけだし。
 
(仮にあったとしたら、そこまでにいたる過程で何かできたことはなかったかな?)
というのもありますし。
 
 
 もちろん、何もできずに、流されてしまうことも場合によってはあると思うのです。そういうこともある。
 
 でもどこかに
(それも自分が決めたこと)
って思えるだけのものは持っていたいな、と思っています。
 
 
 自分が関わっているのなら、誰かの責任にするのも、最大50%。
どうであれ、自分の責任も50%はあるんだ、と自分では思うようにします。
(そうじゃないと、すぐに人のせいにしてしまうので…)
 
 
 ラーメンにするかカレーにするか、という小さなことでも
「こっちにするか」「あっちにするか」
「どこに行くか」「何をするか」
みたいな身近なこと。
 
 そういうことでも、メンバーでお互いにやりとりして一緒に決めること。
「お任せー」
だとしても、それは自分の意志だと認識すること。
 
 
 
 お互いに「心地よい」を目的にすること。
 
 
 
 
 そういうことを、毎日の日常で小さく小さく積み上げていくことなんだと思っています。
なかなか大変で、面倒くさくて、非効率的で、スマートじゃないけど、やっぱり大切なことじゃないの?って考えています。
 
 

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