■「自分の中の古い地層」
気になって仕方がなかった、というよりも、頭の中に
(なんか、ひっかかっている…)
(なんか、行かないと後で後悔しそう…)
って思いがあって、
(これはやはり行こう)
と決めました。
(ああ、来てよかった)
たくさんの、そして迫力のある、繊細な作品群を前にして素直にそう、思いました。
震災前、私にとっての実践の軸は「日記・作文」からの一枚文集。もう一つは、「生活版画」。どちらも、自分と自分を取り巻く生活や社会を見つめ、表現することを目指していました。「表現することで、よりよい社会を自分と他者とで創る」そんなイメージとそれらの実践を重ね合わせていたからです。
もちろん、そんなことは自分一人で考えてはじめた訳ではなくて、当時所属していた実践研究サークルの先輩教師の実践に大きな影響を受けたからです。先輩からの実践に学ぶ、そこでお互いに喧喧諤諤やって学び合う、批判し合う、そんなことをやっていた最後の世代じゃないかな、と思います。
一人の先輩は「生活綴り方」実践が軸。もう一人の先輩は「版画教育」と「文芸教育」。
(その二人から大きな影響をうけたんだよなあ)
と、眼前の作品を見ながら思い出すことができました。
私の「最も古い地層」にあたる部分。
あの二人に追いつきたくて、その実践を真似しながら試行錯誤をしていたのでした。
翻って今は。
どうだろう、自分の軸はこれだ、と言えるものがあるのか。
そこまで、自分が力を注いでいる、と思えることがあるのか。
そこが足りないじゃないか…と。
かつての大先輩たちは、実践の中に「教育者としての矜持」が確かにあったのだ、と、恥ずかしながら思い出した次第。
あまあまになっているな、自分。
もう一度、自分の軸、「古い地層」を掘り起こそうと思います。
そういう、機会になりました。