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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。社会教育士。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。https://note.com/bandai_gradation/  

■見えているのはごくごく一部

■見えているのはごくごく一部

福島第一原子力発電所。ここでは当然今でも最前線で働いている人がいる。

 

東日本大震災で、とくに原子力災害に見舞われた地域を訪問する機会を得ました。

最初に

(あ…)

と思ったのは、「除染作業中」の旗が何本も立った中で、作業している方々の姿。

 

正直に言うと(恥ずかしいのだけど)、除染作業というのは、「もう終わっている」と思っていました。だから、「今でも続いている」ことに、

(あ…)

と思ったのと自分の認識不足を痛感したのでした。

ほんと、見ていないし見えていない。

 

私は石巻で震災を経験し、沿岸部の大変だった状況も「ある程度」知っています。だから、現在の石巻のまちや状況をみて

「もう復興したんですね」

と言われると、ちょっと複雑な気持ちにもなります。

 

それと同じだな、と。

 

何でも、全部見えている、分かっているとは、到底言えません。
私なんて、自分が関わっている範囲のことしか見えていない。
しかも、自分の価値観や経験によって、見えなくなっていることもたくさんあるのだと思います。

 

見ていないこと。
見えていないこと。

その方が、きっとずっと多い。何事も。

 

だからこそ、分かったつもりにならずに、見ようとすること。
聴こうとすること。

その自覚を持っていたいなと思った瞬間でした。

 

 

■なぜなんだ?笑

■なぜなんだ?笑

ダンゴムシ


「見て!」

と差し出された、手のひらを見ると、

ダンゴムシ、ダンゴムシ、ダンゴムシ…

なぜ、子どもは、こう「ダンゴムシ」なのか笑。
なぜなんだ?

かまない、逃げない(逃げ足おそい…)まるまる、そんな要素が子どもをひきつけるのか?

ダンゴムシに色々な色の種類があったら、なお、面白いな…と思ってしまいました。

■「勉強しないと」

■「勉強しないと」

雄勝法印神楽

 

 

仕事が終わって、帰ってからはNHK ONEで朝ドラを見ながらビールを飲むのが、まあ、密かな楽しみの1つ。

今は、「風、薫る」

 

今日のワンシーン。看護婦になろうと一生懸命講義に参加しているツヤさんの言葉

「一生のしごとにしたいから、勉強しないと」

 

うーん、そうだよなあ。

子どもたちに「学ぶ」という楽しさを伝えるのがしごと。

だったら、自分が「学ぶ」(勉強する)のを楽しんでいないとね、とあらためて感じる。

「させる」「やらせる」など、使役の言葉はもうすっかり使わなくなったし、そういう言葉はまったくでなくなったのは、私としては、自分の進化だな。そこは「勉強した」。

 

いや、今もまだ勉強中。

 

 

■聴きながら書く

■聴きながら書く

夕景の漁港

 

ある本をパラパラめくっていたら、

「話を聞いているようでいて、多くの人は聞きながら『次に自分が話すこと』を考えているもんだ。つまり、ちっとも聞いていない。」

みたいなことが書いてあった。

 

(ほう…)

 

と思ったりして。

 

 

先日は、石巻でホワイトボード・ミーティング®気軽な勉強会。

そこにご参加の方々がよくおっしゃってくれるのが

「たくさん話して聴いてもらっているうちに、だんだん自分が考えていることがはっきりしてきました。」

「愚痴でも何でも、一旦言葉にして、それをホワイトボード上に書いてもらうと、客観的に『そうかあ』って感じで見られます」

みたいなこと。

 

ホワイトボード・ミーティング®は「聴きながら書く」。

だから、聴くとなったら聴くに全振りだからかな、と思った。

■「ことば」以上のもの

■「ことば」以上のもの

 

 

bandai.niye.go.jp
「国立磐梯青少年交流の家」でのこの事業との関連で、小学校との交流事業も実現しました。

 

 文化、生活様式が違う子どもたちどうし。

「英語ではどう伝えたらいいの?」

などと、一生懸命準備している子どもたちでした。


はじめはやっぱり、ちょっと緊張もあったように思います。当然ですね。


一気にその距離感がつまったように見えたのは、ヤップ州、パラオ、日本の子どもたちがごちゃ混ぜになってやったドッジボールのとき。

(ボールをぶつけ合うけど、どうなるかな?)

とちょっとの心配もあったけれど、始まってみれば大盛り上がりでやっていました。

まあ、ちょっとのルールの行き違い?はあったとしても、そんなことはいい意味で気にしない笑。

みんなで笑い、身振り手振りと表情でコミュニケーションを図る。

「言葉は違っても、なんか通じる」

そんな感覚を味わったようでした。


ことばは、もちろん大切。

でも、ことばだけではないものも、たしかにある。




 

■「なんとかしてきたでしょ?今までも」

 

■「なんとかしてきたでしょ?今までも」

 

「なんか、心配なんだよねえ」

ってその子が言うから。

「そうなんだー。まあ、君はこれまでも、なんかあったとしても、なんとかしてきたじゃん、その場で。だから、なんとかすんじゃね?」

とわたし。

 

「えー?いつもそんなことばっかりいってー」

とその子は言うけど。

「だって、そうじゃん」

とわたし。

「そうかなあ?」

「そうだよ」

 

 

大丈夫、これまでもなんとかしてきたんだからさ。



■間に入ってくれる子がいる

穏やかなうみ

 

■間に入ってくれる子がいる

 

「ねえねえ、今日さ、ちょっと遊んでいたらけんかになりそうなことがあったんだー」

と、ある2人の女の子。

「へえ、そうなんだ、それで?」

と聞こうとしたら、そう言う前に

「それでね、この前もっちゃんがやっていたみたいに、『じゃあ、まずA君から話して』『じゃ、次はB君ね』みたいに、お互いの言い分を話してもらったんだ。」

「ほお、なかなかやるね!」

と私も感心していたら、

「うん、ファシリテーターみたいにやったの!」

ですって。

 

「どちらかだけが一方的に悪いわけではないんだから、まずはお互いの事情をきかないとね」

「後は2人で話しなよ」

と先日私が当事者に話を聞きながらやっていたことを、彼らはオーディエンスとして見ていたのでした。

 

何かトラブルがあった時は、当事者だけで抱え込ませるのではなく、近くにいる子たちも含めて、

「で、どうだったの?」

「そっちはどう思ったの?」

「じゃあ、どうする?」

と、なんとなく間に入ってくれる。

そういう子が増えてくると、教室や学校の空気はずいぶん変わるのかもしれません。

当事者もだんだん冷静になれますしね。

誰かが裁くのではなく、誰かが一方的に正しいことにするのでもなく。

お互い様だから。

その場にいるみんなで、なんとなく、なんとかしていく。

そういう「あいまいさ」が、案外いいんじゃね?と思っています。


そういえば、先日もめていた2人。

「あ、もっちゃん、仲直りした!」

と2人で言っていました。

「へえ、そうなんだ」

と応えると、

「でも、ごめんなさい、とはいってないけどねー」

ですって。

「ふーん、いいんじゃないの?仲直りできたんだったら笑」

と私は返事をしました。