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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。社会教育士。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。https://note.com/bandai_gradation/

「比べる」こと

 そもそも比べないといけないのか?

と思うものがけっこうある気がする。

 

 比べることができないものを、無理矢理比べようとするから、

それこそ個人の感覚でなんとでもなりそうな無理筋の「規準」がでてきたりする。

 

 

 そうなってくると、見た目で分かりやすい、本来の目的とはずれた「基準」が生まれて、そこではじかれたりする。

 例えば、字が雑とか紙が汚いとか、原稿用紙のここの使い方が違う、とかはみ出している、とか。

 

 ずっと以前、あるレポートを出品した子がいた。体験レポートだから、教科書の該当ページを参考にしながら自分の活動や発見の写真も原稿の中に2、3枚切り貼りして仕上げていた。自分の体験を丁寧に振り返った、その子らしいすてきな作品だと私は感じていた。

 

 しかし、その作品は審査会ではどうやら

「ほかの作品と違う」

からはじかれたらしい。読んでもらえなかったのかな…。

 

 このことがどうこう、とは今は言わない、ずっと前のこと。

 

 でも、比べなくてもいいこと、比べる必要のないことを無理に比べようとしてはいないのかな?それで、いろいろな「分かりやすい」もの差しをつくり、だんだんと「本当に大切にしたいこと」から遠ざかっていってしまう感覚が私にはある。

 

 比べることで、競わせたり、優劣を付けることでやる気があがるとか、伸びるとか、そういうことが、やる気だったり成長を促す、と思うのかもしれない。

 

 そういう側面も否定はしないけれど、それは本人がそれを望む場合じゃないのか?って思っている。

 

 少なくても私は、

「こっちよりもこっちがいい。」

など、背景も分からず(これは結局『分かる』には至らないんだけど))簡単に決めることはしたくないな、と思った。