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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。社会教育士。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。https://note.com/bandai_gradation/

する、より「居る」かな。

 「こうさせたい」

という思いが強くなっていき、そこへのコントロール度合が増していくと

だんだん、「させたい」相手の自主性(おおくは『楽しさ』)が削がれていくような気がしている。

 

 「こうさせたい」というのは、多くは善意であっても。

 そしてそれって「指導」って名前が付いてしまうと、それが「正しい」ことになり、従わないのは「間違い」に位置付けられてしまうんだな。

 

 

 なら、放っておけばいいのか、ってことでもなく。

 

 自分の居方を、向かい合う位置取りではなく横並びの場所に置いてみる、そんな感覚。同じ方向を見ながら、

「どっちに行きたいの?」

「へえ、そうしたいんだ、面白いねー」

「こっちに行ってみない?」

 

 時には「脱線している?」と思えるようなこともそこに付き合ってみると、意外なお宝を回収してもとの本道に戻れることも多い。

 

 人数が少ないとやりやすいのかな?と思うけど、少なければ少ないなりに「見えすぎる」。時にコントロールしたくなるときもある。人数が多くても少なくても利点もあれば欠点もあるってことじゃないかな。

 

 何をするか、よりも、どう居るか、ってことかなー思っていて。

 

「する」をなるべく削いで、「居る」に注力する、そんな感じではどうかな、と思っています。

 

 本来主体性なんて勝手に出して来るんじゃないかな、子どもたちって。

 

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