■楽しそうなところに人は集まる
先日(9/1)は、「対話する地域へ~オープンダイアローグを学ぶ~」に参加。
はい、8/31のものとタイトルも何も同じですが、開催場所が、石巻市雄勝町です。
参加される方々も、雄勝診療所に通う方々をはじめとした雄勝町民の皆さんが中心。
そこに森川すいめいさん、という、私からするとなんというレアな機会でした。
8/31のものは、医療、福祉、介護、心理士などの専門職の方々対象でしたが今回は、診療所の利用者さんたち。タイトルは同じでも、持ち方は当然変わってきます。それでも、
「皆さんの声が、だいじ」
というメッセージは、共通ですね、やっぱり。
今回、私が書き残しておきたかったのは、もう、会も閉じる寸前でのやりとり。
人口減少はここ雄勝でも深刻な課題。そんな中、
「雄勝の魅力をどうアピールして若い方々に知ってもらうか…」
という話にもなったときに、ある方が口を開いて。
「分かるんですけど…。でも、『人口を増やそう、だからPRしよう、集めよう』としても、なんか野暮ったくなる気がして。そこに今、暮らしている人が楽しく居る、楽しく仕事をする、楽しく集う…。それが結果として、ぽっと人をつなぐし、人が集まることになるんじゃないかと思います。実際に○○さんや○○さんもそうですし。」
私も、それを聞きながら
(そうだよなあ、そうだなあ)
と思いました。
昔むかし、ある保育園の園長が、
「人はな、『快』に向かって動くんだよ。」
と言っていました。楽しいこと、楽しそうなところに、勝手に動く。
頭じゃなくて、心、感覚。
そうだなあ。
花に集まる蝶や蜂みたいなものかな…。
そこに居る人が、今を楽しみ、そして楽しいをつくる。たいへんなことの中にも、楽しいを見つける。そんな毎日をちゃんとつくる。
醸す、みたいなものかな。
ますます、学級づくりや学校づくりと同じだな。
コミュニティ、という点で、まちづくりもそうじゃないかな。
学級、学校では「点数」が案外、そこをかき回す。まちづくりだと、「お金」かな。
でも、どちらもツール。ツールをどう使うかは、その場の人次第。
「そこそこいい」
が実は、「もっとも」いい。
もっと、もっと、は見失うもと。少なくとも学級ではそう。
試行錯誤の、繰り返しがいい。