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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■公民館、なんだ、この場所は

■公民館、なんだ、この場所は

 

 今日、ある方に自分の勤務先の住所を打ち込んでいたときのこと。

「磐梯中央公民館…」

 

 あ?公民館、なんだ、この場所は…と気が付きました。

 

 近年、

(教員を退職したら、学校の職員室に席がある、そんな公民館職員になれたらいいなあ…)

(そこで、地域のなかで学ぶ子どもたちや、それを支える先生方のお手伝い、サポートができたら最高だよなあ…)

と思っていたのでした。

 

 半年前には、予想もしていなかった、退職の選択も

(ん?なんか面白そうだぞ…)

という、直感に誘われたもの。

 あまり深く考えもせず、「流れてきたモモ」に

(これは今しかないな…)

と思って飛びついた、そんな感じだったのです。

 

 でも。

 

 今こうして、「磐梯中央公民館」と勤務先の住所を打ち込んでいたら、

(ああ…)

と思うのでありました。

 

 石巻地区でそういう立場なら、それまでに関わった方々との基盤がある程度ありますが、ここ福島磐梯町では、それはほぼ0。言って見れば、アウェイ、からのスタートかもしれません。「外部から入ってきた人」だから。

 

 今までとは、全く異なる立場。

 

 それでも、ここ数日で町のかた数人とおしゃべりしたり、地域の学校2校ほどにお邪魔したりしながら、たくさんのお話を聴くことができました。そして、ほんの僅かですが、この辺りのことや背景、出来事が少しずつ

(なるほど、そういうことか、そういうことかも)

と感じられるようになってきました。

 まだ、ちょっとですけどね、

 

 公民館×学校教育

 

 

 自分が進みたい、進んでみたい方向に舵を切れている、そんな幸せ感を感じつつ、この町の役に立てるように、一歩一歩やってみたいな、そう思える今日でした。

 

 そして、ここで学んだことを、かつてお世話になった地域に還元できたら、もう最高だな、と思うのです。

 

 

 

 

 

■お互いに話すこと、きくこと、笑うこと

■お互いに話すこと、きくこと、笑うこと

 

 新しい職場、3日目。

 3日目にして、近隣の学校にも行き、お話も伺えました。新年度ではあるけれど、新年度だからか、なかなかに大変な現場の様子もお聞きすることもできたし、その中でがんばっていらっしゃる先生方の様子も想像できる、そんな時間になりました。

 

 新しい職場は、今期新設されたばかりです。3人の小さな部署です。

 町の「教育再デザインセンター」という名称ですが、

「再デザイン、っていうのもいいけど、もう少し前向き感のある通称を考えてみようか~」

ってことで、今のところ私たちの間では「グラデーションセンター(通称)」って読んでいます。(^_^)

 

 

 今日は学校訪問ができましたが、昨日までは、着任式だったりご挨拶だったり、年度初めの会議だったり、となかなかカタイ時間の割合も高かったのです。

 とは言え、合間合間にメンバーでやっていたのは、

「対話がはずむ環境づくり」。

 

 仕事部屋として使われていなかった場所だったので、場の整理と一緒にやっていたのは「家具づくり」。

「そこに集まって話したくなるような、そんな場にしたいよね!」

というセンター長の思いで用意した家具。その組み立て作業がイコール、アクティビティです。

 

 作りながら、あーだこーだおしゃべりしたりする、それもまた楽しい。

 できたらできたで、そこに集ってその日や1週間の予定を立てたり、共有したり、簡単な振り返りをしたり。

 

 今日は、前を通りかかった町の方が

「ここは何?」

って感じで立ち寄ってくださり、おしゃべりもできました。

 階下の教育委員会の方も、ちらほら来てくださって、

「なんだ、なんだ?」

と。

 今日はそこで課長さんと円卓ミーティングもありました

なんとなくですが、気を張らずにおしゃべりしていってくださる感じ。

 

 円卓、角テーブル、ソファ、カラフルな椅子、そしてお茶。

 

 この場所が、だんだんとみんなが集まり、おしゃベりし、アイデアを出し合い、そしてお互いのことを知り合う、笑い合う…。

 そんな豊かなコミュニケーションの場になるといいよね、そしてそれが広がっていくといいよね。

 

 そんなふうにメンバーで願いをもって話し聴き合う、そんな3日目でした。

 センターの場づくりは、まだ途上。

 

 

 

■磐梯山

磐梯山

 

 新しい仕事場に向かう道では、磐梯山が正面に見えるところがあります。

 

 この地に来て、まだ1週間にもなりませんが、毎日

「今日の磐梯山はどんなかな?」

と探す自分がいます。

 

 どこかに移動しても

「ここからはどんな風に見えるのかな?」

と見回すようになりました。

 

 そういえば、学生時代は富士山の麓に暮らしていたんだ、ということをふと思い出して、

(あのときとおんなじことか…)

と思ったりしました。 

 あの時も、

(こんな世界や暮らし方があるんだ)

と知ったのでした。

 

 

 今回も、また、きっとそんな貴重な経験と学びができるはず、と期待しているのです。

 

 今週は、いよいよ地域の学校に訪問させていただくお約束もできて、ちょっとずつ動き出すことができそうです。

 楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■しばらく、山の人に

■しばらく、山の人に

 

 好きだったしごと、宮城県石巻地区の教員を退職して、今春から福島県磐梯町にいくことになりました。

 

 「教育再デザインセンター兼こども園準備室 地域プロジェクトマネージャー」という役割になります。

 

 どんなしごと?かは、これからつくっていく、そんなしごとだと理解しています。

 目指していくことは以下の答申の中身。

 

bandai.fcs.ed.jp

 

大きなテーマは、

「多様性と包摂性があたりまえにある世界を子どもと大人でつくる
ー0才から15才の連続した成長に寄り添い子どもと大人が共に歩む場づくりー 」

 

 多様性と包摂生が「あたりまえにある」世界を「子どもと大人でつくる」です。

 

 特別なものではなく,「あたりまえ」にある。

 

 一人ひとりが、ありのままでいてよくて、それをお互いに保障し合う。そんなコミュニティであればいいな、と思います。それって簡単なのかな?難しいのかな?

 

 「せんせい」ではない立場で、子どもたちや先生方や、地域の方々と、どう関わって行くか。そこがなんか楽しみです。

 

 

 半年前には、まさか、今春石巻地区を離れ、このような立場になるとは思っても居ませんでした。とは言え、今こうしてこうなっているのも、やはり私にとっては震災での出来事や出会いがあったらこそ。

 

 だから,この地で私ができることを精一杯やってみて、学んだことや経験を石巻地区にもやがて持ち帰ることができるようにしたい、そんなふうに思います。

 

 だからこそ、ここでやるからには、この土地の「ひと、もの。こと」にていねい触れてみたい、そんなふうに考えています。

 

 

 今日は、着任式などもあり、初登庁。目の前に磐梯山

(今までは毎日海を見る生活だったけれど、今日からは山、だな。)

そんなふうにおもった朝でした。

 

 「先生」としての居場所を失ったとも思いますがそれが結果「居場所が広がった」そんなふうに感じられるように、過ごしていきたいなと思っています。

 

 マイチャレンジ。

 

 

 追伸

 今回、新しく出会った方々といろいろおしゃベりしていたら、石巻に住んでいた、関わりがあった方に何人も出会って、超びっくり。

 神ってるな…と感じたのでした。勝手に後押しされた気になりました笑。

 

 

 

 

 

 

 

■ふと、思い出したできごと。「揃ってないからいいんだ…」

■ふと、思い出したできごと。「揃ってないからいいんだ…」

 

 明日からは、学校は新年度ですね。

 

 ちょっと前は、新学期始めは「黄金の3日間」などと言われる、言って見ればクラスの(もっと言うと、「先生の」とも言える場合も含むかも)「規範」を身に付け「させる」みたいな意味合いの時期でもありました。

 

 もちろん、それは子どもたちにとって「よかれ」と思うからに他ならないわけですけれど。善意。

 

 そして、その「規範」の多くは「揃える」ものでもあった気がします。昔の私ももちろん例外ではありません。

 

 今の私は、というと。

 揃っていないのが、うれしい、楽しい、心地よい感じ。それが「自然」だからです。

 

 私個人は、その「揃っていない」感じが大好きだから、敢えて「揃えない」方向でことを意識的に進めてきました。例えば、子どもたちが誰かにお礼の挨拶をする時なんかは、学校的には、一斉に

「ありがとうございました!」

って声を揃えて言わ「せる」ことが多いと思いますが。

 

 でも、私が場をつくる立場でいると、

「それじゃあ、あとは、一人ひとり、お世話になった○○さんにお礼の気持ちを伝えにいってね。では解散~」

みたいにしてしまいます。

 

 締まりが無いと言えば締まりがないのかもしれませんが、私は子どもとその方の直接の関わりだったり、何よりお礼の言葉もその子が「自分で伝える、伝えよう」としないとあんまり意味が無い、そんなふうに感じるからです。

 

 だから、体育でも「体育座り」は別に求めないし、整列と「前へならえ」もしません。

「はーい、このへんに集まってくれる?」

で十分。

 

 

 この辺りの、「揃えなさ」「揃わなさ」は、一定の先生からは指摘される対象になるんですが、それは、まあ、聞いた振り…していましたね笑。

 

 その「揃わない」ことを、公に、ちゃんと外からに人が認めてくれた出来事が以下でした。

 

 

 

motoryou.hatenadiary.org

 

 うれしかった…そう思ったのを覚えています。

 中身ももちろん、だって、これ、別な機会で職員会議の前に全職員の前でも話してくれたんですもの。

 

 これは、極小規模校の私たちの学校の、担任陣みんなと子どもたちの価値観だったから。ずっと全校体育を続けてきて揃えるのは「形や見た目、結果じゃなくて『楽しい』『楽しくするには?』ってマインド」になっていたから。

 

 1年から6年まで20人に満たない、いわゆる「障害」を抱えている子もいながらの小さな学校だから、「揃わない」のはデフォルト。

 

 でも、「揃わなくても揃う」を感じられた、そんな思い出深い出来事でした。

 

 ふと、思い出したので。

 

 

 

 

 

 

 

■「信じる」

■「信じる」

 

 「もっちゃんは、元気づけてくれるせんせいでした」

 

 離任式の時に、ある子どもからいただいたお手紙の一部。

 

 そう感じてくれたことに、本当に感謝だなあ、と思います。私がしたいことはそういうことだったからです。それを受け取ってもらえていたことが、本当にうれしい。

 

 できるとかできないとか、うまいとかへたとか、速いとか遅いとか、そんなことのほとんどは実はどうでもいいこと。

 

「まず、やってみようか。うまくいかなかったら、もう一回やってみてもいいし、何か別のことをしてみてもいいさ。」

 

 子どもたちの様子を見たり、話を聞きながら、たぶんそんなことばっかり言っていたと思います。

 

 「力を付ける」「○○な力を身に付けさせる」

 

 そんなことじゃなくて、その子が

「もともともっているものを、ちゃんと発揮できるよう、整える」ことに注力したほうが、きっといいはず、と私は思っています。

 

 そして、それは大人同士の関係でも、そう。

 

 そこが整えば、あとは本人が勝手に「力を付け」るように動いていくもの。

 

 そこを「信じる」のが、きっと『学び合い』での「信じる」でもあると思うのです。

 

 

 

◾️だめだめなんだけどね

◾️だめだめなんだけどね。

 

 

 この間、かつてのクラスの子たちが中学校を卒業ということもあり、泊まりにきてくれた時のこと(極小規模なんでそんなことも可能だったりするのです)。

 

 みんなで台所でわいわい料理をしたあとに、テーブルについてご飯を食べていたんですけれど。

 で、私が、そこにあった何か器を取ろうとしたら、その手前にあった醤油皿をひっくり返しまして。

 

あー!あー!あー!とみんなで騒いで、そうしたら、一人の子が、

「もう!相変わらずですねー笑」

って笑。

「え?そうかなー?」

なんて言っていたら、

「そうですよー、ほら、あの時も修正液も蓋をしないで振るから、周りに飛び散ってみんなで大騒ぎしたじゃないですかー笑」

だって。

 

 私も忘れていたけれど、あったあった、そんなこと…と思い出しました。

 

 けっこう、そんなことを覚えているもんなんだなー、と。

 

 (うん、学校のせんせーは、けっこう、だめだめな方が、きっといいんだ笑。その方が、子どもはきっと楽なんじゃない?笑)

 

 

 

 

と自分に都合のいい解釈をしておくことにする…。