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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。社会教育士。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。https://note.com/bandai_gradation/

ほっとしたのは実は僕らだった


 このコロナウィルス騒ぎでの突然の休校から10日ほど。

この日は、みんなで地区を分担して子どもたちのところに家庭訪問。

 「全職員で全ての子どもたちをみよう」を実際に行えるのが、うちみたいな、小規模校。だから、必ずしも担任が家庭訪問、でなくてもいい。

        

 それで、担任でない私も家庭訪問をするメンバーに。

      

 2人の子どものところに行って、本人と家族の方とお話しする時間がとれた。
「早く友だちに会いたいなあー」
がどの子からも出てくる言葉。

      

 そして、思いのほか、学習も含めいろんなことを頑張っていることも分かる。おうちのお手伝いや仕事も一緒にやっていたり。

        

 しばらくいろいろしゃべって、元気をもらったのは実は私の方だったりする。

      

      
 家庭訪問が終わって、職員室に戻ると、同じように家庭訪問が終わって戻ってきた先生たちと情報交換。
「〇くん、どうだった?」
「へえ、そうだったんだあ。」
「それでね~」

なんて、話が弾む。

          

 お互いに確かめ合えたのは、
「なんかさ、癒やされたのはけっこう私たちだよねえ…」
ってこと。子どもたちが不安かもしれないから、とか心配だから、とかそういう名目?で家庭訪問をするんだけど、
「反対に元気になってかえってきたのは実は僕らかもしれないね。」
なんて、お互いに気付いて笑ったりしていた。

 

 楽しかったし、ほっとしたのは僕らだったから。


 そうなんだなあ笑。


 「先生」は子どもたちがいるから「先生」でいられる。
「学校」も「学校」であるのは。子どもたちがいるから。

       

 大人だけの学校は、それはそれで疲れるのだ。子どもたちと一緒に活動しての疲れとはまた違うんだよねえ笑。

      

         

 子どもたちがいないと、始まらない、その当たり前のことに気が付く、そんな感じ。

 

 

 

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