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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

「忍耐」と「もしかしたらおせっかい?」の間で揺れる私たち

 今の現状だと、子どもたちは集まることができない、だから授業も行事も行うことができない。

 今できることは、子どもたちや保護者の方々と連絡を取り合って、学習や今後のことについての不安が少しでも軽減するようにすること、それくらい。また学校が再開したときのための準備。

 

 子どもたちや保護者の方々が何らかの用事その他で学校に来てくれて話すことができると、正直ほっとする。そういう時は、担任であろうとなかろうと、職員室全体もなんとなく華やぐ感じがする。 

 学校ってやっぱり子どもたちがいてなんぼのものなんだなあ、少なくとも今までは。

 臨時休業期間は、5月6日まで続く訳で。でも確実に5月7日から再開できる約束があるわけでもなく。

 極小規模学校だから、この休業期間中、そのままただ待っている訳でなく、学校全体として個別学習を進めていけるように緩やかに準備していくことになるだろう。そうせざるを得ない。学校に来られないのだから。私たちにできることは、子どもたち一人一人の学びのサポートくらいしかない。その「サポートくらいしかない」のがそれはそれで、悶々としたストレスでもあるんだけど。ちょっとした忍耐力も必要…。やりたいことができない、我慢する、でも手をこまねいていることもできない、やれることはなんだろう?

 

 

「忍耐」と「もしかしたらおせっかい?」の間で揺れる私たち?「子どもたちがこない、こられない学校」で「学校とはなんぞや?」を考えざるを得ないなあ。

 

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 いやいや、そうなってくると、
「学校ってなんだ?」
ってことになるよなあ。


 子どもたちがやってこない学校って、その中でどんな「学校」像が描けるのかなあ…。

 うーむ。