先日、仲間内での「対話の会」に参加。
そもそも、それがタイトルだったのかも、実は確かでもない。
そして仲間内とはいえ、メンバーは、普段見知った方々ではなくて、数年前以来とか、オンライン上だけでお会いしただけだったり、中には初めてお会いするる方だったり。年代も職種もそれぞれ異なる、そんなメンバーでした。
特にテーマらしいテーマもなく、
「じゃあ、始めますか」
みたいな感じでスタートします。
それでも、2時間半、お互いに聴き話す時間はちゃんと成立するもんだな、と思いました。そこになんのストレスも感じなかったんですよね。あっという間でしたし。
そこに場があるだけ。参加しようとする場があれば、それでよかった。
お互いに、誰かな何かを説明しようとか、説得しようとか、主張しようとか、たぶんそんなふうには思っていなくて、ただ耳を傾けて、ときどき話す、そんなことをしていたんだろうな。自分の中のジグソーパズルをそれぞれがつくるみたいな、そんな感じかなぁ。
それぞれが話す言葉も、そもそも説明しようとも思っていないだろうから、曖昧な言葉だったら迷いを含んだ言葉だったり。それでもパーツを組み合わせるのは、それぞれ「自分」だから、それでいいわけで。その方が、組み立てやすかったりもして。
チェックアウトのとき、参加者の一人が、
「相手に、場を委ねる、そんな感じで参加していました。」
って言っていて。
自分との対話の場でもあったんだなー。それぞれのジグソーパズルのパーツを探す作業。完成を示す枠もないし、空いているところもあるし、ピッタリはまっているわけでもないところもきっとあるんだろうけれど、まあ、いいよね、と。
それぞれが自分の思考?対話?をしたってことだなー。
場をつくる人にとっては、場への信頼を何でどう示すのかも、けっこう大切かもな、と感じました。