いろいろなタイプの人がいるっていいな、と思います。
でも、そもそも一人一人違うのだから、「いろいろなタイプの人がいる」って言うのは、当たり前のこと。
「このクラスは個性的な子が多いなあ」
「この職場は個性的な人が多いなあ」
なんて言ったりしますが、正しくはきっと
「個性が発揮できるクラス、職場」
ってことなんだな、と思っています。
発揮できるか、発揮できないか。
それは同時に
「発揮できる環境か、できない環境か」
ってことかな。
環境だいじ。
でも、環境って人がつくるものだから、できない理由を環境のせいにばかりもしていられません。そのせいにしている方が、楽ではあるんですけどね。
「発揮させるか、させないか」「発揮するか、発揮しないか」
もどっちも人のすることだから、やっぱり
「で、どうしたいの?」
って話になるわけですよね。
「こうしたい」「このほうがいい」
っていうのは結構、勇気がいることでもあって、ある程度責任を負う覚悟がいるってことですよね。
「カレーを食べるか、ラーメンを食べるか」くらいのことだって、自分で決めて
(あ~、やっぱりあっちにすべきだったなあ)
ってなれば諦めも付くし、
(こんどは、あっちにしよう!)
ってことになります。
でも、
「どっちでもいい」
って言っておいて、
「やっぱり、あっちほうがよかったじゃないか」
とか言われたりすると、
(なんだよ~)
ってことになったり。
あれ?なんか脱線してきた気もするけれど、
今みたいな、どんどん状況が変わって、ある面不安定な状況は、いろんなタイプの人がその持ち味を活かせるってことがとっても必要なことだなあ、なんて感じているってことでした。
「あなたがリーダーだから」
って無責任に責任を預けきってしまわないようにしないとね。
お互いにしっかり支え合っていかいないとね、ってこと。
そこに良好なコミュニケーション。それは自分たちで意識的につくる、ってこと。