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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「リアル」をつくる場

■「リアル」をつくる場

 

 そもそも「リアルとは何か」


 結局は、その人の感覚、そこからの思考の範囲内ってことになるのかもしれない。

 

 だったら、その「リアル」を少しでも広げて行こうとする、そんなことが必要になってくるんじゃないのかな?と思ったりする。

 昨日は、気仙沼魚市場にカツオの水揚げを見に出かけた。
2日連続の気仙沼入り。

 なぜか、というと、その前日に気仙沼に行ったときに、気仙沼の「あつさ」を感じたから。その「あつさ」は何だろう、それが分かるような、分からないような、そんなわくわく感を感じたから。

 気仙沼といえば、その代表的なのは「水産」「漁港」「魚市場」「カツオ」…。
では、そこをもう少し感じてみたい、そう思ったから。

 感じるにはやっぱりその場に行って見ないとなーって。

 行って正解。

 朝の太陽にきらきらする海、ウミネコの声、ベルトコンベアーやフォークリフトの音、時々聞こえる市場の方の声、重油や魚のにおい、そういうのが全部一体となってその場をつくっている。

 「気仙沼というとカツオ」を五感を通して感じる、そんな短い時間。

今の「気仙沼」の姿の一つ。私の中の小さなリアル。

 きっと誰かと一緒に見ていたら、
「そうそう、気仙沼、って感じだよねー」
ってリアルがそこに生まれるんだろうなあ。

 
 そういえば震災だってそう。

 直接、津波を見ずに済んだ私の震災のリアルは、瓦礫と化した町並みと、そのにおい。キーキー、と金属がこすれて立てる音や、そこここの家からだらんと垂れ下がったカーテンが風にはためいてハタハタハタ…と立てる音。「どういうことだ…」と立っている自分の姿。

 

 震災のリアルだって、一人一人によって全然違う。それは映像や言葉で伝えられるものもあるけれど、ほんの一部でしかないし、そこはあくまでスタートでしかないんだよなあ、と思う。


「真実は、それを一緒に共有する人がいないと、真実にならない。」

 

 確か、そんな言葉を見つけた。そうだろうなあ、と思う。

 

 まずは、自分の中にリアルを求める気持ちがないと、それを他者と共有することもできないだろうな。

 

 

 リアルをつくる場。一人でも、だれかと一緒でも。

 


 足を運んでみる、少しでも感じてみる、そんなことをやってみたいなあ。

 

 

 今度は、漁師さんやそこで働いているいろんな人と話ができたらいいな、と思っている。 

 

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