■一緒なんだ、と思える
昨日は、地元教員の研究サークル。
毎月1回の例会をもう400回近く続けています。
今月は、このコロナ禍の中で教室実践をどうつくっていいのか、というテーマで話し合いました。
話題提供をしてくれたのは、2年目の若い先生方お二人。
最初は、
〇グループ学習をどうする?
〇消毒をどうする?
〇給食は?
〇3密をどう防ぐ?
という話から入り、それに伴う困りごとや悩みが出ました。そうなると、話題は自然と
〇そもそも学校とは何をするところなんだろう?
という問いに。やっぱりここに行き着きます。グループ学習かオンライン学習か、といった二項対立の話でもなく。
若い先生方の毎日の頑張りやそこから生まれる困りごとや悩み。それをみんなで聴く、そんな時間。
話題提供の若い先生方から何度も口に出るのは「…。それで不安なんですよね」という言葉。聞き手は
「ああ、そうだなあ。」
「わかる…」
「うちも同じだなあー」
「ここはこういうふうに捉えたらいいんじゃないかな。」
「こういう見方もあると思うんだけど…」
そんな感じで時間が過ぎます。「結論」とか「答え」は出せませんけど。悩んでいることや不安感は若手もベテランも実は一緒です。
例会の最後に、話題提供をしてくださった先生が
「みんなそう思っているんだ、と思えてなんか安心しました。」
みたいなことを話してくれました。
私は、その言葉がとても印象的で、
(ああ、ここなんだなー)
と感じました。
同じようなことで自分もみんなも悩み、不安感ももち、また同じようなことを願っていろいろやっている、だからこそ悩んだりもする、そんなことが「みんな一緒なんだな」って感覚。「感情の共有」
一人じゃないってこと。
人と人とがつながることも、交流することも、学び合うことも、もちろん「授業」も、そんな「みんな一緒なんだな」を味わって共有することで、共に前に進んでいこうか、というエネルギーになっていくのかもしれません。
若い先生方の「悩み」。
悩める、悩みに気付ける、というのも大事なことだなあ、と考えた時間。いつしか悩まなくなっている自分になっていないか?、うまくいっていないことを見ないようにしている自分はいないか?そんなことも考えさせられました。
「これでいいのだ」「これがいいのだ」「これしかないのだ」は楽だし悩まなくていいけど。
「これでいいのかな?」「これでよかったのかな?」「本当によかったのか?」は常に問い続けていきたいな、とあらためて教えてもらった気持ちです。