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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「お店」

■「お店」

 国語の説明文「町の幸福論」からの流れで、子どもたちと「まち」について話す時間がけっこうあります。
 
 「どこに誰が住んでいるかとか、どの人が普段どんなことで困っているのか、とかを知っていないといざという時にも助けにいけないよね。」
「取材した〇●さんも『お互いに知っている』ってことが必要、って言っていたしね。」
「うん、知っていれば、できることや関われることってあるよね。」
「名前も知らないと声もかけられないし。」
「知っている、って大事だねー」

 そんな話だったり、
雄勝はお店が少ないから、買い物ってすごく不便だよね。」
「うちは、休みの日に石巻に出かけたときに1週間分の買い物してるよ。」
「お店がもっとあると、快適に暮らせると思うんだけどな。お年寄りももっと買い物がしやすくなるしね。」
「そうだよね。そういえばお年寄りは買い物、どうしているのかな?」


 お互いがお互いのことを知っていること、普段からおしゃべりし合う関係にあること。そんな小さなことが日常の中に溶け込んでいることが、まずもって大切なんだなあ、と感じます。


 「そういえばさ、この前、お母さんが◎〇商店(雄勝の商店)に寄ったらさ、たまたま知った人が来ていて、そこで『あらー!久しぶりー』なんておしゃべりが始まったんだよね。」


 そうか!お店ってそうやって、人と人とが出会い交流する場でもあったんだなあ、と思った次第。地域の人同士が気軽に集まり、コミュニケーションを図る場、それがお店、商店街だったか…。あたり前のことを思い出した気分。
 地元にいろんなお店があり、そこで時々まちの人々が買い物に出かけ、挨拶をし合ったり、立ち話をしたり。そんな日常がかつてはあったんだろうな。

     
 そういえば、小さい子が「お店屋さんごっこ」を好んでするのは(最近の子はするのかな?)、そこに人と人とのコミュニケーションが多様にあるからじゃないのかな。


 「人と人との交流」は、イベントを開くことだけではないですね。イベントはイベント(まつり)として生活に彩りとリズムを作ってくれるもの。その下地となる日常のコミュニケーションの場として、けっこう重要だったものの1つに「お店」「商店街」があったのかも知れないなあ、とあらためて感じた次第。
 少年たちにとっては駄菓子屋だったり笑。


 自然と生まれるコミュニケーションがあって、イベント(催し・まつり)もある、どちらかではなくて、その両方。その繰り返し。

 当たり前だけど、
(ああ、そうだなあ、お店の役割、かあ…)
なんて思いました。

 学校や教室で言うと、休み時間や学習を通しても普段のコミュニケーションと行事などのイベントのリズミカルな回転。


           
 そんなことを思った日の帰り道、コンビニに寄り、お金を払おうとしたら
「今日から、レジが変わったんですよー」
と言われ、よく見ると、自分でお金をいれるみたいな形式に…。

「え?これって自分でお金をいれるんだ…。自動販売機みたいですねー」
なんていって店員さんと笑ったけど…。

「便利」ではあるのかも知れないけど、なんか笑えない話でもあるなあ…とも思ったのでした。


いずれ店員さんもいなくなるんじゃないかと心配にもなりました。
そして、「お店屋さんごっこ」もなくなる…。わわわ・・・。

 

 

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