■数字、点数、文字という記号。「分かりやすい」は「分かりにくい」
ある場面で、「数字」「点数」の話が出てなんかもやもやするし、気分が晴れない。
数字点数、がいらない、必要ない、とは考えてはいないし、軽視しているわけでもない。必要な場合もあると思っている。指標の1つとして。
なんとなく、がっかりしているのは、なんだかんだいっても
「最後は点数でしょ」「結局点数でしょ」
という流れに絡め取られていってしまうのかな…と感じてしまうことがあったから。
多面的に見たい、総合的に見たい、全人的に見ていきたい、と思っても、最後の最後に「」数字」が出てくるといきなり無味乾燥な「記号」にその人が置き換えられてしまうようで、私は嫌なんだな。
つまり、数字でのジャッジ、と感じてしまう自分がいる。これ多分に自分の感覚だから、それだって「正しい」のかも分からないんだけど。」
はじめに言ったように、「数字」がいらない、といっているわけではないんですけど。
数字は記号だと感じています。分かりやすい記号。「分かりやすい」は「特定の情報に特化して記号化しているから「分かりやすい」けど、周辺情報を含まないから全体像は「分かりにくい」。だから、周辺情報をもっている自分や自分たちで場面に合わせて使うのはいいけし、そこからのフラットな対話をかさねることができると1つの有力な情報として使うことができるように感じます。
対話が足りないと、他者をある特定の価値観でジャッジしてしまう側面が強くなり残念な感じにもなると思います。
この日、ちょっと考え事、心配事もあってあんまり自分のエンジンが掛からずにいたんだけど、それでも普通通りに教室に入っていったつもりだったんですが、すぐに子どもたちが
「なんか、せんせー、今日、ちょっといつもと違いません?元気ない感じー」
とかって。
「え?分かるの?」
って来たら
「そりゃあー」
と。
ばれてる笑。分かるんだ…。何も話してないのにね。
(なんか、彼ら、優しいな…)
って感じて、ちょっと元気が出ました笑。
「元気度」っていう数字が顔に出ていたか?声に出ていたのかな?笑
記号には、優しさはないし、優しさをカットしている「わかりやすさ」かな…、どうかな?分かりません。
文字も記号。
きっと、文字では、この日に感じているもやもや感は、私の表現力も含めて、伝えきれないんだろうなあ、と思います。
この「分からない」「わかり合えない」感とどう付き合っていったらいいのかな。もやもやは晴れず。