次の場所へ行こう

本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■そうか、「冒険」ってことか…。

■そうか、「冒険」ってことか…。

 先日は、この本に呼ばれて再読。
https://akirabooks.jp/books/%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%9F/

 まだ大日向小学校ができる前に、著者の中川さんから聞いたこと。

 「イエナプランの学校をつくったからと行って『イエナプラン』になるわけではない。」
「イエナプランのコンセプトに共感した教員が集まって学校をつくったからといって、それだけでイエナプランの学校になるわけじゃない。」
 
 こう聞いたように私は覚えている。とくに心に残っている言葉の1つ。
(あくまで私がとらえた言葉だから、私の認識では、ということ。中川さん、違っていたら教えてくださいね。)

 

 イエナプランには、「8つのミニマム条件」と、そこからの「20の原則」というコンセプトが中心になっている。あくまでコンセプト。詳しくは協会HP参照。

https://japanjenaplan.org/jenaplan/rule/

 
 そのコンセプトをいかに現実世界の中で表現するか(それぞれが)ってことなんだろうなあ、と思う。これは容易ではない。むしろ「いつも」「完全に」表現しているなんて無理とも言える。(無理だな…私には)

 コンセプトを広く伝え、いつでも立ち戻ることができるようするためには「言語」を使って可視化(なのかな?)し、記録しておくことも必要と思われる。とは言え、「言語」はそもそも曖昧であり、放っておくと一人歩きしたり、お飾りになったり、個人の解釈で曲がっていったり、まあいろいろする訳だなあ、と思う。

 だから、いつでも、
「ねえ、これってこんな感じかな?」
「どう思う?」
「この場合だとどうかな?」
なんて、メンバーの中でのやりとりが常に必要になってくるはず。


 そういう意味での冒頭の中川さんの言葉なんだろう、と「解釈」している。


 「イエナプランの学校をつくること」も「言語化」するのも、もやもやと形のないものを見えるようにし、そこに立ち戻るきっかけを与えてくれるものではあるけど、そこに立ち戻ろうとする「ひと」がいないと、一緒に立ち戻る「仲間」がいないと始まらないもんだなあ、と思う。

 ものや言語といったある面「かたち」があるとはっきりする。はっきりするから安心できる。反面、居着くことにもつながる。居場所としてそこにあるから、「安定」。

 でも、コンセプトが「意味すること(ほんとうのこと、としておこう)」(なのかな?これ自体も言語だからなんとも言えない…)はきっと「かたち」はない。そして「ほんとう」はたくさんあって、ひとつじゃない、きっと。(何がほんとうなんだ…?)ってもやもやする。もやもやしまくる。それって大変だし不安になる。悩む…。「不安定」ではあるが、でも、柔軟であり自由だ、とも言える。


 ずっと不安だったり、不安定ではいられない。でも、ずっと「安定」でも前に進めない。「モアナと伝説の海」でモアナが島を出て波の向こうに漕ぎ出すように、そこにマウイやタラ、ヘイヘイなんかの仲間が一緒だったり。

 島を出て、次の島へ。時々休んだり、流されたり、沈んだり笑。
モアナも船が壊れたら直した

 ああ、そういことだな、やっぱり。「冒険」なんだなー。

 イエナプランのコンセプトでも、「子どもの権利条約」でも、「学校教育目標」でも、なんでもいいいんだな。それ、全部モアナでいえば「テ・フィティの心」でしょ。「波の向こう」ってことだなー。

 最後は、なんだか妄想チックになった笑。

 

 

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