■推し量る、について
ある方とのおしゃべりの中から考えたこと。
相手の問いにこたえる、「こたえ」を探す?ってことは「推し量る」ってことだとも言えるかもしれないな、と。
他者の思いをどう受け取って、自分の中の「こたえ」を探して提示するか?
相手は何を自分に求めているのかな?と考えて、自分はどんな「こたえ」を提示するのか、できるのか考える。
それが「推し量る」こと。
何を相手は自分に求めているのかな?と推し量る。思いを受け取って、自分の中で「これか?」ってものを探すなりつくるなり、するってことかな。
何度もやりとりをすることも必要になってくるかもしれない。
そもそも、その「何度もするやりとり」こそが求めれているのかもしれない。
自分と相手との間にあることを推し量る。「想像力」でもあるかな。
お互いに推し量ろうとすること、その努力、やりとりをすること。これがコミュニケーションでもあるかもなあ。なかなか、手間はかかるけどここは省略できない部分だと思う。
もしかしたら、(「この人は、この面倒くさいやりとりをわたしとする気があるのか、ないのか」を確かめていることだってあるだろうから。
だから、推し量ることの確からしさを上げるために様々な情報を集める努力、手間も必要。
それを総合的に関係付けながら「推し量る」ってことだなあ。
それが「成長」とも言えるんじゃないかな、と思った。見える、見ようとする世界が広がるっていう点で。
「推し量り力(想像力)」の確度を上げるのが「学ぶ」ってことでもあるのかもしれないな。