■「遊びと学び」
昨日は、イエナプラン教育宮城支部11月例会。
今回のテーマは「遊び」
「遊びは学び、学びは遊び」とは言うけれど。確かにそうだと思う人は多い、と思う。
一方で「そうなる」「そうなっているか」どうかは、実はどうもよく分からないもの。
「多分そうだろうなあ」「そうだといいなあ」「そうありたいなあ」、はある。
きのう、参加メンバーで話しながら自分がその時感じたのは
(やっぱりさあ、分けるから難しくなるんじゃないの?)
ってこと。
「遊びは学びにもなる」し「学びは遊びにもなる」感じ。
なっていく、なっている、そんなグラデーションみたいなものかな、と。
そこを難しく考えちゃうと「どうしたら」(方法や手段)「接続」できるかなんてことを考えて、
「では、『こう』しましょう!」
なんてふうに細分化(言語化、でもあるかな)していく…。
すっかり「遊び」的な空気がなくなる笑。
私が思うに、「遊び」は「面白い!」だけでよくて、誰にも邪魔されない中で起こるモノかな、と感じている(今これを書いている時の直感だけど)。
「面白い!」ことと「邪魔されない」こと。
「面白い」、は自分ファーストの気持ち、感情。ここには「分からない」とか「難しい」とか「予想外!」「ちょっと危険」もあったほうがいい。
「邪魔されない」は、時間だったり、不本意な指示、命令だったりで制限されない。自分で舵を握っている感じ。するもしないも自分で決められる感覚、かな?。
因みに漢字の「遊」の意味はこうらしい。
https://news.livedoor.com/article/detail/11470308/
遊びとはなんぞや?
学びとはなんぞや?
遊びと学びの関係はどう考えたらいいのだ?
なんて、考えることも、必要だとは思う。
一方で、その考えたからといって「分かる」ものでもなく、やっぱりそれと一緒に自分の思う「遊び」「学び」をたっぷり経験し続けていないと、その「分からなさ」を面白がれなくなってしまうかなー
って思った。
分からないことやできないこと、予想外だったり、トラブルだったりを「面白がる」そんなところに、実は「遊びと学び」が混在する世界があるのかなー、なんて思ったりした。
校庭で子どもたちと一緒に鬼ごっこしたり(疲れるけど)するのも、ぼーっとそういう場面を見ているのも、国語や社会とかで「へー!」とか言って子どもたちとやりとりするのも、彼らがあれこれ勉強している様子をぼーっと見ているのも同じくらい面白いな。
近付いたり離れたり、その周りをぐるぐる回ったり、そんな感じでいいかな、今のところ…。
そんなふうに感じられた、楽しい対話の時間。