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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■誇り

■誇り

 27日、子どもたちと一緒に、石巻ニューゼへ。
https://hibishinbun.com/newsee/

 震災時、あの大変な状況の中で、「手書きでなら…」と新聞を発行し続けた石巻日日新聞の記者さんたち。

 その方々に直接出会いの思いに触れて欲しい、そこから「それぞれの今」とつなげて欲しい、つなげるきっかけとしたいと思っていたからです。

 案内してくれたのは、当時、その手書きの新聞を書いた一人のHさん。

「あの状況の中で、新聞の発行は無理だ、とも思えた。新聞は当分だせないかも、と。」
「しかし、情報を届けるのが、私たちの『仕事』。」
「1枚目の手書き新聞の見出しで、赤字で書いたのは『正しい情報で行動を』だった。」
「正確な情報を届ける、ということ。」
「こんな状況だからこそ、全国からの援助や電気の復旧が始まったなど明るい希望がもてる見出しも付けたかった。」
「~できない、こともある。でもできることもある、できることや方法はないか、を探すこと考えることが大事だった。」
「地元で100年、ずっと新聞を発行し続けてきた『石巻日日新聞』の看板を、信頼してくれた市民の皆さんがいてくれたこと」

 どの言葉も、私には、とても響く言葉でした。
子どもたちはどう感じてくれたかな。

 
 昨日、あらためて、私一人でニューゼに出掛けました。
子どもたちが
「お礼に渡したい」
としていた「ほってぇ皿」をうっかり学校に忘れてきてしまったので、お届けにあがるのと合わせて再度お礼を申し上げたいと思ったから。

 そして、そこでまたHさんとひとしきりおしゃべりをして、楽しい時間を過ごしました。

「子どもたちが、しっかり受け止めて聞いてくれたのが嬉しかったです。」
「自分の考えもちゃんと話してくれましたよね。震災当時、赤ちゃんだったころの自分の話とも合わせて聞いてくれたのもうれしかった。」
「自分たちの仕事を褒めてもらって、それがとても嬉しい。今までいろんな賞もいただいたけど、子どもたちに褒めてもらったのは格別。」

などの嬉しい言葉を、いただきました。(子どもたちに、教室で伝えないとね。)

 

 その流れで出てきた言葉が「誇り」。

 内側から出てくる感覚なんだろうなあ、「誇り」って。
自分(たち)が真剣に積み上げてきたこと、やってきたこと、何とか乗り越えてきたこと、楽しかったことも大変だったこともあって、そういう中から出てくる感情、かな。

 そしてそれって、きっと他者からの「ありがとう!」の言葉だったり「すごい!」という賞賛だったり共感だったり、そんな自分(たち)以外の誰かの思いと合わさって創られる感情なのかもなあ、と思いました。

 南三陸町の素敵さを生かして、震災後のまちづくりに取り組んでいる方々も
「原動力は、南三陸への誇り」
と言っていたなあ。
 

 簡単に諦めないこと、他者と一緒にやること、楽しみながら、楽しみや喜びに変えながらやること、自分は自分ができることに一生懸命取り組むこと。


 そういうところが共通点かな、と感じます。

   
「誇り」っていう言葉が使えるようになりたいなあ。
簡単ではない。

 

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