■これってどういうこと?
歴史の学習。
教科書を最初にみんなで読んでからスタートしています。
この文を読み解く?のがなかなか面白い。
「『治めました』ってあるけど。これは誰が、誰を、なのかな?」
「治められた、って立場の人も同時にいるよね。」
「〇〇は□□を建て…、ってあるけど、〇〇『が』建てたと思う?」
「〇〇が実際に建てたわけじゃなくて、命じた、ことじゃない?…」
「これって、きっと殺された、ってことでもありますよね。」
「多分ね。どうなんだろうね。」
主語は誰(何)で、述語の意味していることのイメージはどうなのか。
教科書のたった1行で記述されていることが、例えば、子どもたちが調べた白虎隊の悲劇のように様々な人の人生や地域に如何に大きな影響を与えたのか…、そんなことを感じます。
調べれば調べるほど、「分からない」が出てきます。
そもそも「分かる」がない。
言葉の選択や使い方1つで、与える印象もまた違います。書き手が何をどう伝えたいかで、言葉は変わってくるから、それをどうキャッチするかできるかは受け手の「学力」の問題。
できるだけ、幅広く、たくさんのことを(時には取捨選択しながら)関係付けて受け取れたほうがいいと思います。そして自分の判断、行動を決めていく。
天邪鬼な私は、子どもたちと一緒に教科書を読みながら
「これって、つまりどういうことかなあ?」
「反対の立場の人から見たら、どういうことになるのかなあ?」
なんてことを問いながら、子どもたちと一緒に
「うむー」
と考えることを楽しんでいます。
そういえば、「哲学おしゃべりカード」なんかで時々遊んでいるから、こんなことも子どもたちとおしゃべりできるのかもしれません。
例えば
「普通ってだれが決めるの?」
とか笑。
人は「言葉」で考えるけど、言葉はあらゆる方向からいつでも「本当ににそうかな?」「いつでもそうかな?」「誰にとってもそうかな?」は頭に置いておきたい問いじゃないかな、と考えています。
子どもたちにも、持っていて欲しい感覚。
多面的に物事を見られることって、自分を大切にしながら他者と折り合いを付けて行く上でも大切だと思っています。
もちろん、最後は自分で決めるためには、やっぱり学ばないとそれができないんだよ、そんなふうに子どもたちには話します。
「はいはい笑」
って言われますけど笑。