そこだけ、ここだけで完結させようとしないってことなんだな、と分かってきた。
あたり前のことだけど。
「子どもたちに生き生きと学校で学んで欲しい、これからも学ぶことを楽しんで欲しい」
とか
「こんな学校(学級)にしたい、なるといいな」
「こんな運動会にしたい、なるといいな」
とか。
そこだけ、ここだけでできることなんてないってこと。それを下手すると「焦点化」とか「具体的に」なんて言葉で矮小化されたり、目に見えやすい(即座の)結果とかだけで「成果」としてしまうと、「どんな…」という一人一人の願いや思いはどっかに消えてしまったりする。
「願いや思いを共有する時間なんて、残念ながら『会議』の中にない」
とうのはもっとも。
私も、
「会議、なんとかかならいかなあ…」
と思ってあれこれ考えてきたけど、時間に対して案件が多すぎて苦慮してきた。
かといって会議をこれ以上増やせる隙間もなし…。うむー、なんだな。
ああ、そっか…、って思ったこと。そこだけ、ここだけで完結させようとしないってことなんだな。会議だけでなんとかしようとしない、ってこと。そこはあくまできっっかけであって、ちょっとだけ「問い」を出したり、みんなでそれを意識したりする時間でいいんだな。あとは、その問いをずっと持ち続けている「誰か」がいて、時々
「あの『問い』なんだけどさ…」
「あ、今日のこのことって、あの『問い』の1つの典型的なエピソードだよねー」
なんてことを出し続けて行けばいいんだな、って。
あたり前のことといえばそうなんだけどね。
運動会だって、当日だけでできているわけではない。そこにまつわる多くのエピソードあり。要は、その中のどんなエピソードを大切なもの、拾い上げていくもの、としてメンバーが拾い上げていくか、ってことだな。
その、拾い上げていくアンテナを立てる、そんな場が「会議」でもいいんだよな、と思う。
今だけ、ここだけ、そこだけ、これだけじゃないところ。
「いったい何がよかったのかも、よく分かんないけど、なんかうまくいったねー、楽しかったねー」
なんかしらんけど楽しかった、笑顔がたくさんうまれた、今度はこうしたいね、が生まれる、そんなサイクルをみんなで回していけたら、ほんといいなー、って思う。
みんなが
「うん、そうしよう!」
って思えば、きっとそれって簡単なんだ、やれそう(^^)はは。