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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■そこだけ、ここだけで完結させようとしない

  そこだけ、ここだけで完結させようとしないってことなんだな、と分かってきた。

 

あたり前のことだけど。

 

 「子どもたちに生き生きと学校で学んで欲しい、これからも学ぶことを楽しんで欲しい」

とか

「こんな学校(学級)にしたい、なるといいな」

「こんな運動会にしたい、なるといいな」

とか。

 

 そこだけ、ここだけでできることなんてないってこと。それを下手すると「焦点化」とか「具体的に」なんて言葉で矮小化されたり、目に見えやすい(即座の)結果とかだけで「成果」としてしまうと、「どんな…」という一人一人の願いや思いはどっかに消えてしまったりする。

 

 「願いや思いを共有する時間なんて、残念ながら『会議』の中にない」

とうのはもっとも。

 

 私も、

「会議、なんとかかならいかなあ…」

と思ってあれこれ考えてきたけど、時間に対して案件が多すぎて苦慮してきた。

 

 かといって会議をこれ以上増やせる隙間もなし…。うむー、なんだな。

 

  ああ、そっか…、って思ったこと。そこだけ、ここだけで完結させようとしないってことなんだな。会議だけでなんとかしようとしない、ってこと。そこはあくまできっっかけであって、ちょっとだけ「問い」を出したり、みんなでそれを意識したりする時間でいいんだな。あとは、その問いをずっと持ち続けている「誰か」がいて、時々

「あの『問い』なんだけどさ…」

「あ、今日のこのことって、あの『問い』の1つの典型的なエピソードだよねー」

なんてことを出し続けて行けばいいんだな、って。

 

 あたり前のことといえばそうなんだけどね。

 

 運動会だって、当日だけでできているわけではない。そこにまつわる多くのエピソードあり。要は、その中のどんなエピソードを大切なもの、拾い上げていくもの、としてメンバーが拾い上げていくか、ってことだな。

 

 その、拾い上げていくアンテナを立てる、そんな場が「会議」でもいいんだよな、と思う。

 

 今だけ、ここだけ、そこだけ、これだけじゃないところ。

 

 「いったい何がよかったのかも、よく分かんないけど、なんかうまくいったねー、楽しかったねー」

 

 なんかしらんけど楽しかった、笑顔がたくさんうまれた、今度はこうしたいね、が生まれる、そんなサイクルをみんなで回していけたら、ほんといいなー、って思う。

 

 みんなが

「うん、そうしよう!」

って思えば、きっとそれって簡単なんだ、やれそう(^^)はは。

 

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