「揺らぎを奪わないようにする。」
「分かりやすいということは、考える機会を奪うことでもある。」
先日、ある場で出た話題。
ほんとうだな、と思う。
「分かりました。」
とか
「これはこうすればいいのです。」「そっか」
「今までこうだったので、こうします。」「そうしましょう」
「これはこういうものなんです。いいですね。」
安定して「すすんで」いくように見えるけど、それは本当に進んでいることになるのか?と感じることもありあす。
やっぱり、
「何のために」
を傍らにいつも置いて、そこを見ながら軌道修正を図っていきたいと思うのです。
揺らぎ、はなかなか不安を生むんだけど、そこを乗り越えるだけの関係性を丁寧につくっていかないとなーって感じます。
それは、最後は「自分の頭で考えて行動する」みたいな自立でしか、ないんだと思う。