「きく」ということについて、考える3時間を過ごしました。
その中で、講師の先生が
「『鐘の音をきくようにきく』、なり終わった後でも、何かきこえる、それをきこうとする、そんな気持ちできく。『聴きに入る』」
というようなことを伝えてくれました。
余韻も含めて聴く、まだ何かなっているんじゃないか…と思って聴く、そんな感じだろうな…と思いました。
そうなると、耳だけ、言語だけじゃきけませんね。
私たちは、実は、大事なとき、ここって時には自然とそんなきき方を実はしているはず。子どもたちだってそう。
だから、実は、大切なのは
(ここだ…)
ってところを察知する感覚なんだな…と考えた次第です。
だから、自分に余裕がないとだめ。
全部の感覚を、どっちかというと、だらんとさせておいて、でもそこに触れる何かを感じ取る、みたいなイメージ。
あ、風鈴、みたいな。(季節はずれだけど)