■「3人寄れば文殊の知恵」
「ファシリテーションって何ですか?には、最近は『3人寄れば文殊の知恵』ってことですかねえ、って言うようにしているんです。」
とはファシリテーターの青木将幸さんが話してくれたこと。(私の聞き間違いでなければ、ですが。)
「3人寄れば文殊の知恵」
ああ、この日本語じゃないかーって思ったんですよね。特に珍しい言葉ではないんですけど、その時の自分にフィットした言葉。ファシリテーションが日本語になったとき。
もちろん、今までもそういう表現を耳にしたことはあったとは思うんです。自分の状態、関係性、時期…諸々のことが合致したときに、
(ああ、そうか…)
という感覚。
どの人の思いや意見も大事にする、一緒に考えて一緒に前に進む。そのために「聴く」「問う」そして「待つ」んだなー。
単に物事を解決するだけじゃなくて、今ここを大事にする、そんな感じでもあるんだな。
会議の中でそれができることもあるし、様々な条件でそれが十分できないこともありますね。でも、会議の場だけが「3人寄れば文殊の知恵」じゃなくて。いつでもどこでも。
それが「日常のコミュニケーションを豊かにする」ってことでもあり。
それぞれの自己選択と自己決定を、お互いに大事にすることでもあり。
そういう場が、1つ1つの授業だったり、学校生活だったり。
この「3人」っていうのも実はミソだな…、と思っている。