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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

小さな不安や溝は大切にしたい

 急な判断をしなくちゃいけなかったり、それもリスクを含んだそれをしないといけない時ってあるけれど。

 

 そういう判断をしないといけない時って、それをする方もちょっとどきどきだったりします。

 

 でも、その判断の基準は、それぞれの立場だったり状況だったり、背景、持っている前提情報のよって異なることは当たり前。でも、自分なりに考えた末のそれだったり自分もそこそこのリスクを負ってのそれだったりすると、そこに固執してしまうことが私の場合、あったりします。

 

 そういう時って、自分を余計に正当化したり、反対に他者の判断の足りないところを指摘したくなったり。ちょっと責めたくなったり。

 まあ、自分規準にぐっと偏っていく、そんな感覚。

 

 最近ましになったのは、

(あ、やばい、見方が偏ってきたー)

ってことに少し気が付けるようになったことかな、と思う。

 

 だいたい、自分基準に偏ってしまう時は、ほぼ必ず自分の判断の甘さやリスクの大きさに実は自分が気が付いているとき…。

 

 そこが分かるようになってからは、なんか自分アラームが鳴るようになって、

(まてまて!)

と自分に言えるようになったかな。そこはいい。

 

 

 でもねー、やっぱり気が付かされるのは、そもそも、多くの人に影響することでそんな急な判断(個人のことならそれもいいけど)に迫られなくてはいけない状況そのものが、だめだったってこと。

 

 そういうことが起こらないように、事前にちょこちょこと相談したりやりとりしてないといけないよ、ってことなんだと思いました。

 

 大きなズレや急展開にならないために、小さな不安や溝をちゃんと埋めておく、そんなところかなー。だから「小さな不安や溝」は大切で、いつもそこにあって、みんなで見えるようにしておいた方がいいんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがうまく思い通りに行かなかった時なんかは、自分を守りたいという意識が働いてしまうことがある。

 

(いや、私もちょっとリスクを負っているんですよ…)

みたいな。

 

 それで、