■「分かりやすい」ことはいいことか
先日は地元研究サークル「あすみの会3月例会」。
テーマは「分からない授業のすすめ」。実に面白かった。参加者で、たくさんモヤモヤしながらそれを楽しみながらおしゃべりする時間。まさに「分からない」に向き合う、そんな対話の時間。
これがいいとか、こうするもんだ、とか、こうに決まっている、とか。それが当たり前になっていて。「そういうもんだ」と無批判に受け入れてしまっていることが多いことにも気が付く。
「もやもやする」は実は正常な思考の反応なんだな…とあらためて思う。
「分かりやすい」がよくて「分かりにくい」は良くない?ほんと?
「分かる」がよくて「分からない」はだめ?ほんと?
「ていねい」がよくて「雑」はだめか?
「あきらめない」はよくて「あきらめが早い」はだめ? ほんと?
「立ち向かう」はいいけど「逃げる」はだめ? ほんと?
こうして取り上げれば、
「そりゃあ、時と場合、状況、人などで変わるに決まってんじゃん」
ってなるけど、こと判断するベースが組織や集団になった時に、本当に柔軟に適切な判断ができているかというと怪しいところもある。
スパッと決めきることはいいこと?でもやもや考え込むのはだめなこと?
「もやもや」して自分の感情と向き合うのは、なかなかしんどいこともある。でも考えるってそういうことだよね、と思う。
感情に正対し、受容し、その上で昇華させる、そんなプロセスは大事にしたんだなー。