言語で伝えられることってやっぱり限られているんだと思う。
そして、それをちゃんと分かっていることが大事だな…と。
でも、それって、言語的なコミュニケーションを軽視してる訳ではなくて、むしろ逆。
話し合わないと、聴き合わないと、わかり合えない。
というか、わかり合うには、とことん話し合う聴き合うしかない、とさえ思っている。
そこを諦めないでいたいと思う。
でも、だからこそ、その言語の波の中に、体を漂わせながら(そう、イメージ的にはには漂う…)流れて行く方向に身を委ねる、そんな非言語的なメッセージ、シグナルをキャッチする「感覚」の占める割合の大きさに、あらためて感じ入るのであるなあ。
たぶん「神ってる!」って感じられる時の多くは、たぶんそんな、漂っているときに「あれ?」って覚醒したとき。
ほとんど妄想に近い、今日のつぶやき。