次の場所へ行こう

本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。社会教育士。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。https://note.com/bandai_gradation/

■「正しい」を一緒につくる

■「正しい」を一緒につくる

 「だめ」をはじめとする「禁止」はコミュニケーションを阻害する言葉になってしまうこともある。だめ、となってしまったら「だめ」だから。

 シャッターガラガラ…笑。


 クラスでは「~していいですか?」は(基本)「禁止」笑
そう言われると、私は必ず速攻で
「ん?だめ~笑」
と言います。
「自分でそうしたいとか、そうすべき、って思うのなら『~したい』って言えばいいよ。」
「あなたがそうして、私が困るようなことがあるんだったら、そこで相談すればいいよね。基本、憲法に反しないことであればいいんだから。基本的人権の尊重。」
と笑っていいます。

 はじめのうちは、なんだかんだと
「~していいですか?」
とつい行っていた子も、
「~したいです。」「〇〇いってきます。」「〇〇しますね。」と言うようになってきます。私がそれで都合が悪いときは、
「あ、それ、今じゃないとだめ?」「それだとちょっとまずいんだな~、なんでかっていうとさ…」
と相談するしかありません。
「じゃ、これでいきますか!」
とお互いに合意形成を図りたい、と思っています。
 もちろん、それは、教室の管理者として緊急かつどうしても、というときはトップダウン的な「だめ」を言うときがあります。それでも子どもたちには
「そういう時には、分かってもらえるようにちゃんと後からでも説明するから。」
と話すようにします。大人の事情だってあるから。子どもはそういうときでも理解してくれます。

     

        

 基本「だめ」を言いたくないのが私です。
子どもたちには「~たい」を真ん中に据える生き方をして欲しいから。「~していいですか」ではなく。自分の中にある「~たい」を大事にして欲しいと思っています。そこには必ずわけがあるんだと思っています。

 でも自分の「~たい」と他者の「~たい」はぶつかってしまうことが多い。こうしたい、とこうしたい。教師と子どもとの関係であれば時に「こうさせたい」と「こうしたい」かな…。

 その、「たい」と「たい」がぶつかった時こそコミュニケーションのチャンスなんだな、と思います。他者との信頼関係が足りないと、そのコミュニケーションを避けてしまいがち。とりあえずぶつからないように…したほうが「楽」なことも多い。傷付きたくないし、傷つけたくもないから。
 でも「たい」と「たい」はどちらも「正しい」。だからこそ、どっちが正しいか誤りかってことではなく、どうするとお互いにとっていいのか、そんなちょうどいいところ、塩梅、折り合いどころを見つけるのがコミュニケーションなんだと思います。

      

        

 困ったときこそ話し合う、オープンに話し合う、そうしたい。

 それは、「あなたとはわかり合えるはずだ」という信頼感だったり、「わかり合いたい」という思いだったりから生まれること。

 責めているわけでも、私の「正しさ」を主張するわけでもないんだなあ。
 誰もが「正しい」。

      

        

 オープンに話し合えるってことはとっても大切にしたいこと。大人だって子どもだって、大人と子どもだって同じだと、私は思っています。

 「私たちの正しい、今ここ」をつくり続ける作業だな~。

 

 

f:id:motoryou:20200531092906j:plain