朝、涼しいうちに済ませてしまおう…と刈り払い機のエンジンを掛ける。(なんか長野の方では?全国的に?これをビーバーというらしい。)
1か月ほどサボっていたことや、管理しないとならない面積がなかなかなこともありで、ちょっと覚悟がいる…。
ちょっとやっていると、朝とは言え、本当に汗だくになるなあ。草、恐るべし。浸食度も成長スピードも半端ない。
「自然を守ろう」という言葉は、よく聞くし、大切なことではあるのはもちろんだけど、この作業をしていると
「自然から自分を守ろう…」
みたいな感じだなあ笑。油断していると、どんどん攻められる。
うちの地域なんかは、山に鹿がどんどん増えて食害やら、ときに車との高越事故やらが頻繁に起きたりして、ちょっとした課題になっている。人口が減っていることもあって、人間の生活領域にどんどん「自然」が押し寄せてきて、その境界線を死守するのにタイヘン、そんな側面もある。
「境界線」
私はけっこう、いわゆる「境界線」を曖昧にしておくことで、分けられててしまうものを融合というか、その両方をいったりきたりできるようにしておくってのが好き。
でも、今回草刈りをしながら
(暑いから、まあ、そこそこでいいよなー)
なんて思ってやっていたんだけど、それでもやっていると、妙に「きわ」が気になってくる…。
例えば、庭石の近くに生えている草をどうしてもきれいに刈りたくなってくる。それを始めると、
(あっちも気になる、こっちも気になる…)
(草刈エリア内はきれいに刈り込みたい)
って感じで、もう、ヘトヘトになった。
それでも、全部は終わらず。ふぅ。
ん?そういうところでは「境界線」をはっきりさせたくなるのか…なんて思ったりした。
このままではまずい…そういう不安があると、人は「境界線」を引きたくなるのかな…。
まあ、ただ、単に、草刈りがタイヘンだった、って話。
しかし、暑い…。自然を守る、どころか、自然から身を守らないと…そんな状況。
でも、それは「自然を守らない」からくることなのかな。
なんか、不安になるなぁ…。