先日、仲間と集まっていたら、お困りごとを少しでも何とかするためのミーティングになりました。
私は、
「どんな状況なのか」
が可視化されるように、問いを立てながらお話を聴き、ホワイトボードに可視化する役目。
「どんな状況ですか?」
「うんうん」
「なるほど。」
「それでそれで?」
って感じで。
一緒にミーティングに参加していたサイドワーカー(Aさん)さんの問いや振る舞いがかなり素敵で、「ここ」というところで、
「もうちょっと具体的にいうとどうなの?」
「それはつまりこういうこと?」
のように、「パイプの水が通りにくくなったかな」みたいなタイミングで、そのつまりうを取り除くかのような後押し。
進行役をしながら
(ああ、お見事だなー)
って感じていました。
ミーティングのあとのフリートークをしながら
(なるほど)
と思ったことは、Aさんは今回の案件に関しての事前情報、エピソードを(出てこなかったものも含めて)たくさん持っていたんだな、ということ。
状況を理解するのに、どれだけの事前情報つまり(具体的な事実など)があるか、共有しているか、それってけっこう大きなことだなあ、と思いました。それらをいろいろな立場から出し合って共有することで、困りごとや課題の全体像が、ぼんやり見えてくる、だんだんクリアになってくる、靄の中で見えなかったものがだんだんその輪郭を見せてくる、そんなイメージ。
渦中の当事者さんからの視点から見えるものだけではなくて、他者の違った角度、視点からみた「事実」もきちんと出して置くことってとっても大事だよなあ、とも。そこに、参加者同士の関係性が良好である、のは言うまでも無いですね。
今回は3人でのミーティングでした。「3人よれば…」なんて言いますが、まさにまさに。間に第3者を入れる、そこで聴き合う対話する、そんなことの価値を感じた時間でした。
(それってこの前のPFA研修で体験した「トライアンギュレーション」にも通じるかもしれません。)
そして、場をつくり、良好なコミュニケーションができる環境をいかに整えるか、日常からお互いのそれを大切にし合うか、そうできる関係性をみんなで育む、そんなふうにいきたいですね。