■ファシリテーターっていう呼称は、ある意味、どうでもいいんだと思うけど
「ファシリテーター」って何かな。
促進する人…場をつくる人…なんの?なんのために?ってことでもある。
ファシリテーターの青木さんは「ファシリテーターの根っこを育む」、として
「問う」「待つ」「きく」
の3本をまずは柱にあげていた。
まずは、この3つの柱を、どんどん根っこのように地中深く張り巡らせ続け、絡ませながら、地上に出ている木、葉に栄養を供給し続けていく、そんなメタファーを今思い描きます。
そして、(植物だから)誰かに、ちょっと寄与する。うん、ちょっとでいい。
だから、誰もが誰かに影響を与えている存在だから、そういう意味では、誰もが「ファシリテーター」であるなあ。
だけど…。それを前提にした上で、
「ファシリテーター」と強く特化して言う場合には。そこに誰かの「決断」に寄り添う?促す?何かしらのパワーが必要かな、と感じる。
生き方モデル?
「よし、こうしてみようか」
みたいな。この人(たち)に問うてもらった、待ってもらえた、きいてもらえた、そんな物語かなあ?
そして、自分で自分の決断ができる、そんな環境をその場のみんなでつくる。そのためにスキル「も」使う。自然にでてくるスキルでもあるから、後付けみたいなものでもあるか…?
スキルは「枝葉」。目に見える部分。枝葉に栄養をおくる「根っこ」を太く広く張り巡らせる努力をしないといけないよね。使いこなすための根っこ?
根っこはある意味「つよさ」でもあるかな。静かなパワー。
そして「つよさ」がないと、他者をエンパワーすることもできないよな…。
んー?
「つよさ」の中身は何かな…。
目的をもつ、願いをもつ、思いをもつ
だから、他者のそれにも敏感である
ゴールを見失わないつよさ?
ときには、休む、一旦にげるつよさ
再スタートできるつよさ
自分自身が自分をちゃんと生きるってことだな…。根っこ、だもの。
「自分で決める」を手放さないこと。
結局「自分」だなー、堂々巡り。
修行だな…。