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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■こんなことを話し続けたいんだな

■こんなことを話し続けたいんだな

 先日は地元の教員実践サークルの7月定例会でした。

 今回は「“学力”とは何かについて考える」。
 テーマトークの時間。

 (ああ、こんなことを、丁寧に話したいんだな、職場でここから「も」始めたいんだよな)
って感じました。

 「学力」とは何か。

 学習指導要領解説「総則編」には「確かな学力」として「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」ってことが示されています。

 でも、でも…結局は、例えば「テストの点数」や「できる・できない」だけで振り分けて捉えられがちなこともあります。

 だから、こうやって、
「そもそも“学力”って何?」
ってところからお互いに考えを出し合う、受け取り合う機会はとても大切だなあ、と感じています。

 「学力ってさ、相手に伝える、伝えることができる力じゃないかと思ってさ…」
という一言から始まったこの時間。
 これって、話をみんなで進めていくと、単に他者に言葉で伝えるとか他者と伝え合うということだけでではなくて、最終的には「誰かのために役立てる」「誰かを幸せにする」そんな力じゃないかな?ってところに行き着きました。
「ためこむだけじゃなくて…」
「外に出して、誰かと一緒に使う、誰かのために使う、そんな感じ?」
「なんか『動いている』イメージかな」
「出会う、とか気付くとか。何か動いてみる。聞く、関わる、見付ける…何かアクションを起こす感じ。」
「学力が高い、ってどんなイメージ?」
「そうなると、結構現場では『点数』って話になってしまうことあるよねー」
「『学力』の話になると、いつもかみ合わないよね笑。ずれたまま話が進んでいったり。」
「自分の思う『学力』の土俵に相手を引っ張り込んだら勝ち、みたいな笑」


 一人一人に必要な「学力」って本当は異なるはず。その子どもたちのもつ「生きる力」をよりよく発揮できるようにする、もしくは獲得できるようにするのが教育であると私は考えているから、そのためのトライアンドエラーをなるべく学校、教室で積み上げてほしいと思っています。
 だから、国語や算数でも、その場のメンバーと一緒に課題に向き合い個人の課題とメンバーの課題を両方関わらせながら解決していく、そんな場面を想定しています。自分の学習課題を達成することと友達の学習との境界線を低くする、そんな感じ。分からなかったら
「ここ、どうやるの?」
って不通に聞けるし、聞かれたら
「ああ、ここはさー」
って一緒に考えてくれる仲間がここにいる、その心地よさを体感できる場。そういう中で、体験的に、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」ってのがしみこんでいくといくといいなーって思います。そして、そこに良好なコミュニケーションがある、それをお互いにつくれるようになるといいなと思います。そのトライアンドエラー。だから“学力”って他者と比べるものではやっぱりないな、って思っています。だから余計「数値」だけで語られる場に出てしまうと、ざわざわしてしまうのですが。


 私の考える“学力”とは、今のところ
○誰かのため、自分のために役立てる力
○そのために準備したり、チャンスを見付けたりできる力
○やり直せる力
かな…。

 そんなところまで、昨日のメンバーと話しながら考えることができました。感謝。

 職場でも一緒にこういう話をしたいんだな。「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」なんて言葉に、自分たちで彩りを付けていく作業なんだと思います。言葉だけ降りてきて、分かった気になるんじゃなくて。
 いつも「まだ分からないんだよねー、ははは」でいいから。


【追記】
 私は、この内田樹さんの「学ぶ力」の考え方がとても好きで、ベースに敷いているのですが、昨日の例会参加を経てまた読み直すと、さらに新しいニュアンスも自分の中に生まれてくるようでうれしい。

http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.html