「分からせたい、では対話にならない。分かり合いたい、だと対話になる」
「受取手が場をつくる」
そんな話題が先日、私が参加する学習会で出ました。
まさにまさに。
学校なんかでも(うちの職場ではほとんど出てこないですが)、よく
「話を聞かせる」
とか、
「話を聞く態度を…」
なんて話が出ることが、あるような。
でも、そんなスタンスの人の話を、自分だったらあまり聴く気にならないのが正直なところ。
「伝えよう」とするあまり受取手の知識、関心、感情なども含めた前提を無視してしまう(もしくはそこをはなから考慮していない)場合って、けっこうあるよね、と気付くに至ります。
話を聞いている「風」な態度を聞き手に求めることは、むしろ「話を聞く(受け取る)ことなんか実は求めていないんだ」ということを誤学習させてしまうことにもなりかねないな、と感じます。
聞く価値と必要があり、一緒に場をつくりたいと無意識にも感じる関係性の中に,話し手と受取手の関係が成立するんだよな、と思います
話し手と受取手、両方。
共に場をつくる。
そこをもう一度、確かめながら、また子どもたちや職場の仲間と向きあいたい。