■「インクルーシブってなんだろう」
このことに付いて考えることが多くなりました。
それで、先日の「日本イエナプラン教育協会公式宮城サークル」や地元研究サークル「あすみの会」でも話題に出したところでした。
インクルーシブってなんだろう?
自分の感覚では、「障害のある方も一緒に」みたいな文脈で使われることが多い気がするのですが、そんなことではないなあ、という気がしています。そういう側面もあるのだとは思いますが、それはやはり狭いかなと。
このことについてメンバーと話している、それは結局、
お互いに
○「一人ひとりを大切にする」
○「それぞれの違いを受け入れる、大切にする、活かす」
みたいなことであり、同時に、
○「自分のことは自分で決められる」(自己選択と自己決定)
こととセットであることに気が付くかされます。
当たり前に、「基本的な人権の尊重」。
イエナプランの中心的なコンセプト「自立と共生」ってことだなあ、と思います。だから、それが「障害のあるなし」に限定されるものではないし、そもそも、その「障害」ってことだってボーダーレスですもんね。
以下は私の好きな本。
「マイノリティデザイン」 https://wrl.co.jp/2020/12/25/minority-design/
「ガチガチの世界をゆるめる」 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910053172
ここにある「ゆる文化」はまさに、インクルーシブ的な考え方だなあ、と感じています。その「ゆる」は、包摂であり、平和であり、自由であり、多様性であり、クリエイティブであり。
学校はどうでしょう?「ゆる」かな?「ガチガチ」かな?
そういう問いかけはよくないですね。どちらの場合だってあるでしょう。(「ゆる」「ガチガチ」の解釈だって、人の数ほどありますし。)
振り返ってみると、私自身がこれまで意識的にやっていることが、「自分自身が学校の中で『ゆる』な存在で居続けること」であることに気が付きます。敢えて明確に線引きをしない、線引きされたことの境目に居ながらその線をある意味、ぼやかしていく、線自体を引っ張ったり押したりして幅のあるものにする、そんなことをしてきたんだと感じます。その方が自分も心地いいし、線引きをされたほうも楽だと感じるから。だから、もしかしたら、線引きをした人からみたら、ちょっと面倒くさい人だったかもしれません。
他者(社会?)から引かれた線は、縛られ感が出ます。自分(たち)で自分(たち)に引いた線なら引き直しも可能。調整できないこと線引きは苦しくなりますよね。
この「インクルーシブってなんだろう?」というテーマで、仲間と話していて気付いたことやメモは以下。
○「大丈夫じゃない?うちの学校ゆるいから。あははは」と同僚が職員室で笑っていたのを見て、「ああ、いいな」と感じた。
○「ゆるい」は安心安全。それは「なんとかする」「フォローし合える」ということでもあるよね。
○「ゆる」は多様性を認め合うこと。いわゆる「学校文化」はそうじゃないところもあるかも。同質性、同時性を求めてしまう時もあるよね。「ちゃんと」「きちんと」誰かの価値観で、揃えることを要求されたり。
○そんな中、「ゆる」で居続けるのはなかなかタイヘンでもある。軸をもった「ゆる」だよね。
○軸とは…「人権」なんだと思う。お互いの自己選択と自己決定を尊重するとか。自分を大事にすることと他者を大事にすることのバランス。折り合い。
○包摂、平和、自由、多様性、平等、クリエイティブ…
○カタイはもろい。「柳に風折れ無し」 根をしっかり張って。たおやかさは強さ
インクルーシブって文化なんだなあ、と思いました。線引きをして明確に決めることの必要性も理解した上で、やっぱり私は、意志をもった「ゆる」な存在でいたいなあ、と思いました。そして、それは自分を全うすることでもあると思いました。たいへんなこともあるけれど。
『柳に風折れ無し』
素敵な言葉をいただきました。そんな風に居たいな、と。
インクルーシブとは、誰にでも心地よい居場所がある、心地よい居場所を保障し合える。そしてそこに自己選択と自己決定が「大切なもの」として位置付いている文化があること、そんなふうに理解しました、今ここ。