■「やれている」「できている」からスタートする
昨日は、イエナプラン宮城支部オンライン例会。
今度の全国大会(オンライン)の準備会でもあるけど、準備会=学習会でもあるプログラムにしてある。
今回は、今度の全国大会のコンセプト、テーマについて話し合い、集まったメンバーで共有しようじゃないか、って時間。こういう時間は、とっても大切にしたいな、と思う。大会の運営や準備にとっては「非効率的」なのかも知れないが、ここに時間をとっていればズレが生じた時でもいつでも立ち戻ることができるから、言わば「急がば回れ」だと思う。
それぞれが、主体的に動けるようになるには、この「立ち戻るところはここだよねー」がないとね。
さて…、今回も実に面白かった。
私の基調提案もしたことはしたけど、その後のみんなの話の展開が面白すぎて、私の話なんぞ、ほんと、きっかけにしかならない感じだったなー。それでいいのだ。
イエナプランはコンセプト、理想だったり理念だったり。
理想とか理念、ってやはり「崇高」みたいに感じてしまう人もいるから
「ああ、私はできていない…」「私には無理」「できている人はすごい」から始まって、
「あそこだから、できる」「あの人だからできる」になりがち。
どうしても、「できていない自分」に傷付いて、できていそうな人は「すごい」になってしまう。
そんな思考になってしまうと、「特別」なものになってしまって、そうなるとひろく一般に普及する文化にはなりづらい。だって特別なもの、なんだもの。
でも、本当は「みんな楽しんでいるし、困ってもいる」んだよね。
特別なことじゃない。
昨日の話で面白かったのは
「実は、毎日の普通の生活の中に『イエナプランのコンセプト』ってあるんだよね…」
って話になったところ。そうそう、まさに。
サークル対話したから、異年齢学級にしたから、だからイエナプランではないな、きっと。
そうじゃなくて、もっと「生き方」とか「その人」の中に溶けていたりまだらに表出されるものだったりするんだと思う。その時々にいろんな面だったり色を出したりする感じ。
だれでも、自分の命を生きているんだから、それだけでイエナプランで大切にしている「自立と共生」はやれているのが前提、ってことなんだな。
そもそも、やれている。
そこからスタートすればいい。「やれている」ときもあれば「ああ…」って残念になってしまうこともあるんだよね。人間だもの。
「自分らしく生きていたり、自分らしく人と接していられたときってどんな時だったけ?」
「その反対の時ってどんなときだったかというとね…」
「ああ、今日のあの時はよかったんだけど、その後のアレはなんか残念な感じになっちゃったんだよねー」
なんてこと。天気みたいなもので「晴れ」もあれば「くもり」「雨」「雪」「嵐」もある。「快晴」だって。おまけに季節ごとに同じ天気だって模様は違う。もちろん1日の中でも様変わりする。
イエナプラン、ってきっとそんな感じ(主観ですけど)。
そもそも、まだら模様。だから「できている」し「できていない」。
(今日はどんなふうに生きていたかな…?)
なんてことを、ちょっと考えるだけでいいんじゃないか、そう思う。
そもそも、すでに「やれている」「できている」からスタートすればいい。
「生きてそこにいる、一緒にいる、それだけで十分だよ」
そこからスタートすればいいんだな。
さてさて、今度はどんな大会になるかな。
まだまだコンセプト段階なんだけど、ここが面白いところなんだなー。