本日は、地元の小中学校の一斉授業研究会でした。
市内各地の会場に分散して学び合います。
私は、その中の「へき地・分校教育研究会」というところに参加。
若い先生の、実に丁寧な授業を参観させていただき、
(いいなあ)
と思いました。
そして、午後には、近くの、石巻・川のビジターセンターというところでワークショップを通して学ぶ機会。
行ったのは、「水鳥たちのウェットランド食堂」というアクティビティ。
(ああ、やっぱり、『湿地』みたいな境界線だからこそ、多様な生物が生息できるんだなあ。そして、その多様な生物が生きていけるから、またさらに多様な生物が命をつないでいけるんだなあ…)
ってこと。
境界線。
思い返してみると,私が子どものころは、近くの川や田んぼは今のようにコンクリートになっていませんでした。そこには、草が茂っていたり泥の岸がったり、ぬかるみがあったりして、昆虫も貝もザリガニも、カエルも、魚も、それを狙う鳥も、とにかくたくさんいました。
湿地とは、言わば、陸と海(川その他)の境界線。いや「線」ではなくて、境界「面」?。そこは、かなりの、陸だか水辺だか分からない曖昧な場所。
曖昧なのは、工業的・経済的視点から見ると「不安定」。
だから、すっきり、はっきり、きれいに、線を引いた方がいい?
でも。
曖昧な場所が、あるから、多様性が担保される。多様性が担保されるから、持続可能。
いろんな環境、いろんな条件、そういうのが、複雑に複雑に絡み合っているから、それぞれがその中で上手に適応できる。だから不安定でありながら、安定する。
そんないろんなことを、もやもや考えた午後。
(学校の湿地になりたい…なる。)
そんなことを思いました。