■「正しい」は苦しい
先日、ある学習会で、たくさん「正しい」ということばを繰り返し聞き、自分としてはなぜか、
(うう、具合悪い…)
という気持ちになってしまった笑。
「正しい○○」「正しく○○」「正しい…」「正しい…」
あー、もう、分かった分かった、もう!
なんなんだ?「正しい」って?
「正しい」ことなんて、そんなにあることなのか?
って。
それは確かに正論ではあるから、「間違い」ではない。
しかし、「正しい」を連呼されると、私は、ほんと、くらくらするのだ。
「ちゃんと」してない自分を自覚しているから、聞けば聞くほど、なんか否定されているように聞こえてしまうのかなー?
「~べき」もそうだけど、どこかの誰かや一定の条件での、(まあ正論かもしれないのだが)「正しさ」だけを押し出されてしまうと、個人や組織ってギスギスするか、もしくは、いろんなことが疎遠になるか、深入りしなくなるか、見た目だけになるとか、そんなことにならないのかなあ?
もしくは、分かりやすい「正しさ」に染まるか。
それでも、誰かに「それは違う」と言われないために、「正しい」をいつもいつも探して回らないのと行けないのかな。
私は、「正しさ」の周辺をうろうろ、ブラブラすることにする。