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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「正しい」は苦しい

■「正しい」は苦しい

 

 先日、ある学習会で、たくさん「正しい」ということばを繰り返し聞き、自分としてはなぜか、

(うう、具合悪い…)

という気持ちになってしまった笑。

「正しい○○」「正しく○○」「正しい…」「正しい…」

 

 あー、もう、分かった分かった、もう!

 なんなんだ?「正しい」って?

「正しい」ことなんて、そんなにあることなのか?

 

って。

 

 

 それは確かに正論ではあるから、「間違い」ではない。

しかし、「正しい」を連呼されると、私は、ほんと、くらくらするのだ。

 

 「ちゃんと」してない自分を自覚しているから、聞けば聞くほど、なんか否定されているように聞こえてしまうのかなー?

 

 「~べき」もそうだけど、どこかの誰かや一定の条件での、(まあ正論かもしれないのだが)「正しさ」だけを押し出されてしまうと、個人や組織ってギスギスするか、もしくは、いろんなことが疎遠になるか、深入りしなくなるか、見た目だけになるとか、そんなことにならないのかなあ?

 

 もしくは、分かりやすい「正しさ」に染まるか。

 

 それでも、誰かに「それは違う」と言われないために、「正しい」をいつもいつも探して回らないのと行けないのかな。

 

 私は、「正しさ」の周辺をうろうろ、ブラブラすることにする。