■みんなで、みんなと「楽しい」「心地よい」を創る日常。その試行錯誤。
昨日は、先日行われた、「『不登校』シンポジウム」の実行委員振り返り会&懇親会(いわゆる「催し」ですね)。
私自身は、今まで、この「不登校」で困った、困っている子どもに直接関わったことも、勤務校でそうなった子どももいませんでした。
(心の内で困っていた子もいなかった、という意味ではありませんが)
だから、この課題については「分かった気」になってはいけないな、というのがあります。
懇親会では、現在、「ひきこもり」支援に従事されている方と、通信制高校を運営されている方と主にお話をしました。
引きこもりになった、きっかけは、学校時代の「不登校」があるのが、いろいろなケースの共通点のようでした。それぞれの事情はもちろん多様ですけれど。
「どうだったらよかったのかな…、小中学校時代をどう過ごせたらよかったのかな…」
という私の、問い、というかつぶやきに、
「そうですね、他者の中でうまくやっていく、いけた経験ですかね…。」
「人との接点がつらかったから、引きこもる。受け入れてもらえれば、入れるんです。」
ふむ。
「みんなと関わることが楽しい」
「みんなと居ることが心地よい」
やっぱり、そここそ、大切にしたい価値だな、とあらためて感じました。
学びはその延長線上にあるとさえ思います。関係性の中に学びはあるはずだから。
なによりも「楽しい」「心地よい」はだいじ。
それが感じられなかったら、どうしたら「楽しい」「心地よい」が、自分で、みんなで創ることができるか、その試行錯誤。それこそ「学び」。
「特別な支援が必要」とされている子どもだって、いわゆる「通常学級」の子どもだって、同じこと。ひとつながりです。
みんなで、みんなと「楽しい」「心地よい」を創る日常。その試行錯誤。
それをインクルーシブ、って考えたいな。今ここ。
そうか、「不登校」になっている子どもが表面上、見えないから、って話ではなんだな。当たり前だ。