■分からない、まだできないを楽しむ
先日、職員同士で「学芸会の振り返りミーティング」を行いました。
「学芸会、どうだった?」
「印象的なエピソードはなに?」
「良かったことは?今後の課題って何かな?」
そんな問いで、3~4人でトークをしながら、その後全体共有をする、そんな感じです。
あ、学芸会主任への「愛のある一メッセージ」も一人ひとりから。(これってけっこう大事にしています)
「子どもたちの表情がよかった、楽しそうだった」
これでもう十分だな、と思いました。そのことを、みんなで聴き合って確かめ合って、またみんなでがんばろう、でいいんだよな、と思います。
保護者の方々が寄せてくださった感想を読ませていただいても、願っていることは
「我が子や周囲の子どもたちの楽しそうな表情、姿」
なんだと思いました。当たり前ですが。
それ以上に何も望むことはないな、と。
もちろん、「ああすればもっとよかった」「ここはこう改善するといい」はあるんだと思います。一人ひとりをつぶさに見れば、「100%楽しい」でもなかったでしょう。
「子どもたちの表情がいい」
と多くの方々が感じてくださったのなら、それをカバーしてあまりあるものかな、と思います。今後にまた活かしていけばいいなと思います。
私なんかは、この「学芸会をみんなで楽しもう、成功させよう」ってことだって、「学力」って感じています。毎回、いろんな課題に向きあいますし、一人ではできないし、どうしたら自分もみんなも楽しくなるか、そして見に来てくれる人にも楽しさを感じもらえるか、などなど、そんなことへのチャレンジでもありますから。
私の根っこにある「学力」観って、内田樹先生から多くを学んでいます。
だから、「できる」が大事じゃなくて「まだできないなあ」「どうしたらいいのかな?」が先にあるイメージ。そこが楽しめること。ああでもない、こうでもない、と試行錯誤をしたり、みんなで相談したり。そんなことを楽しみながら続けていけるイメージです。
「学力」ってただ行ってしまうと、どうしても分かりやすいテストの「点数」で示されたものに捉えられがちになってしまったり、「できる」がよくて「できない」がだめ、みたいになってしまいがちです。
まだできない自分を楽しめて、
「どうしようかな?」「どうしたらいいかな?」
が、学芸会みたいな行事が終わっても、ずっと楽しめたらいいんだと思っています。
いわゆる、「勉強」の時間だって、子どもたちがうんといい表情になった居るときってあります。それは、どんな時?って考えれば、ねえ。
ジャッジしない、一緒に面白がる、そこに自由な試行錯誤がある、ちょっと難しい…