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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

■「2019年度,自分でチャレンジしたいこと」を振り返る その3

■「2019年度,自分でチャレンジしたいこと」を振り返る その3


 次に、その3について。


□3 学ぶこと,学び合うことの価値,楽しさを共に考え味わう仲間づくり
  ○「学力」向上というか、「学習力」向上
  〇学力とは何か、子どもたちのできた、できる感のアップ、自信
  ○子どもの『学び合い』,教職員の『学び合い』、同型性から考えてみる。
  〇OGATSU COMPANY化
  ○ファシリテーションスキルの練習,ホワイトボード・ミーティング®の練習
  ○自立的に学ぶ,という意識とその体験の積み上げ。


 なんか、けっこう難しいこと言ってる。具体的には今年はどうだったのか、を考えてみよう。
「学習力」。
 私のイメージは「分からないこと」をも楽しめる、「分からない」から楽しいになっていることが、「学習力」向上のイメージ。今年の1月当初もそう思っていたのかよく分からないんだけど、今、直感的に感じているのはそういうこと。

 「分からないこと」が楽しめるには、ジャッジ「だけ」されないことかなって考えていて。(関係性のある中でのジャッジまでは否定しない。そして、関係性がない中でのジャッジもまた否定もしない。)「だけ」じゃないってのが結構大切かな、と。

 □3は全体的に「学ぶことと関係性」「子どもの学びと大人の学びの合体」みたいなことを意識して考えていたんだな。


 出発点にしてきたのは、まずは職員室。職員室に学び合う関係性を、その前提となるお互いを尊重し合う関係性を、ということ。それをなるべく会議の中でも、そう考えてのいろんなころ。ホワイトボード・ミーティング®もその手段の1つ。

 関係性の構築、4月にはメンバーが大きく替わるので0からのスタートになるのは当たり前。そこから「さあ、始めよう!」とスタートするのが、職員室の学びでもあると思っています。

 旗印は、やっぱり「学校教育目標」。
 
 昨年度、皆さんけっこういい感じで職員チームが年度末を迎えられたなあと感じていて
「このメンバーで2019年度もやれたらおもしろい…」
とも一瞬思ったけれども、安定しすぎると、次には進みづらくなっていくし笑。

 4月に新しい校長先生をお迎えして、メンバーも入れ替わります。
校長先生は、なんと、雄勝が地元の方だしそれ故に「雄勝愛」のある方!
 今まで石巻地区の、それも浜での勤務が多かった私。その中でもとりわけ長く雄勝地区にお世話になってきた私は、ここの人も自然も大好き。だから、雄勝を知り尽くした方が新しく校長先生になることを知り、
「お!なんと!きたー!」
とも思ったのでした。
(地域と共にある学校、がまた前に進むなあ)
と期待も高まります。

 ところが…、そうは簡単にいきません。(でも、これがかえって良かったんですが)

                    

 メンバーが替われば、関係性もまた変わります。
当然うまくいかないこと、も出てきます。

(うーん、なんかうまくいかないんだよなあ…)
(どうしたらいいのかなあ…)
なんてことも、たくさん出てくる、出てくる。私は教務主任という役割。その辺りの調整をするのも自分の役割だから、うまくいかない感じは責任を感じてしまいます。なんか焦ってしまいます。そうなると「なんとかしよう」と手段に走ったり、自分の考えと近い人の話ばかりを聴いてしまって、それで全体を把握したつもりになっていたり。
 見えている範囲、受け入れる範囲がきっと狭まっていたんですね。「分かったつもり」になって安心したかった、ってところでしょうか。

 今思うと、そういう時が、「うまくいっていない時」だったんですねえ。

(どうしたらいいんだー)
といういらいら。


 結局は「対話する」しか、それしかなかったということ。
「対話すら成立しない!」
 と感じてしまう、そういう場合だって、時にはあるかもしれません。
 まあ、そう言って諦めるのは簡単なんだけど…。


 「分かり合えないのなら、分かり合いたいと自分から行動を起こすこと。こちらから何度でも橋を架けようとすること」、それ以外にないってこと。自分のナラティブを脇に置いて、なんだな。
 これは、年末の読書で、あらためて意識できたこと。

 そう、自分のナラティブを一旦脇に置く。
これって「分かったつもり」である自分を意識の中に入れ、外の世界(他者のナラティブ)を受け入れる準備をするでもあるなあ、と思います。


 「ぜんぜん分かってくれない」というのなら、自分がまず、他者を「分かろうとする」方向に舵をきって行動しないことには、やはり始まらないんだよなあ、と思えた今年度。
 それは、まず「自分は分かっていない」ことを受け入れることでもあるかと。

 うまく行かない時は、
「分かった」「分かっている」と思っているときだな…。そのほうが気持ちがいいから。
その瞬間は否定しないし、いいことだと思います。
 まずいのは、そこに居着くことか…。うーむ。
 居着いたほうが傷付かなくていいし。しばらくは。


 自分のナラティブを一旦脇に置く。
 これって、「分かっていない自分」を一旦受け入れるってことでもあるかな。

 「分かったつもりにならない。なるな。」
これは、今年、ある方からいただいた大事な言葉。

 この言葉をいただいた時は、正直いうとちょっとだけ
(むっ)
としたんだけど、でも、よくよく考えてみたり、その後のいろんなことと照らし合わせてみると、その通りなんだと思います。

 「まだまだ分からないことだらけ。だから橋を架けることを諦めない」
人との関係性も、学ぶことも、すべて同じだな、と体験からも学びが多かった今年の1年。

 「分からないから学べる」ってことだなあ。
来年も楽しみです。

 あれ?振り返りその3、になったのかな…。ま、いっか。

 

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大好きなオレンジ色で今年を閉めよう(^^)