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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

足下を大事にするってことは

 


「足下(足元)を大事にして、そこから『自分が』どう感じて、どう考えるのか。
 時にはいったん自分のそれを脇において、もう一回よく見る、やってみる、聴いてみる。
 居着かないで。」

 これは、同時に、自分自身にちゃんと向き合うことでもあるんだと思う。そこが求められる、きっと。

 「どうしても譲れないもの・こと」があるから「一旦脇におく」ができると思うから。それなしでは「一旦」とならない。流される。自分でどこに向かおうとしているのかすら分からなくなってしまう。

「どうしても譲れないもの・こと」は、変化していっていいんだと思っている。正確に言うとだんだん削ぎ落とされてシンプルになっていくんだろうなあ、と思う。日本酒を造るときに、米を削っていくように。

 

 同時に「まだまだ何にも分かっていない自分」を受け入れられることでもある。「一旦脇における」のはそういうことでもあると思う。

 

 「足下(足元)」を考えると、最後は「自分」にたどり着く。

「どうしても譲れないもの・こと」に対して
今この状況の中で
 「自分自身は、どうなんだ?どう感じるんだ?考えるんだ?で、するんだ?」


 そういうことだなあ。
なかなかきつい。自分に向き合うのが実は一番きつい…。
 そこから「逃げない」ってことなんだと感じる。

 もしくは
「逃げる、と決める」
これでもいい。
 自分で「逃げると決めた」ら、次のチャンスがあるから。

 

 「どうしても譲れないもの・こと」は、考えれば考えるほど言語としては、どんどんシンプルになっていくだろう。しかし、その言葉の意味する視座を高め、視野を広げる作業を自分で自分に常に課していかないといけない。
 これが「自分に向き合う」ことでもある。今ここ。


 その継続が、「自信を深める」(高める、ではなくて)ことになっていくだろうし、「どうしても譲れないもの・こと」がはっきり意識の中に根付いていくことでもあるんだろう、と考えている。

 「自信」という言葉は私の中では、時になんか偉そうな(ここで言うと、「高い」「低い」であらわされそうな)言葉に響いてしまうんだけど、実際はそうじゃないんだな、と今は考える。ある、とか、ない、ともまた違う。
 自分の中の問題。

 まだ、「自信が浅い」
 だから学ばないとね。

 「深くなった!」というゴールは残念ながら、ない。


つまり、ずっと学ばないといけないよ、ってことだなあ。
そうでないと、自分で選んだり、決めたりできないよ、ってことだなあ。

そうできないと、自分も相手も大事になんかできないよってことだなあ。
でも、だんだんそうできるようになると「楽しい」よ!ってことだと感じる。


 だから、本を読む。人と話す、聴き合う、対話する。


 今年もたくさん学ばないといけないな、と思う。

 

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