Tさんの投稿から、考えたこと。
「子どもたちにも、是非このコロナの1年を振り返って、『ああ、あのコロナのときがいちばん楽しかったな』『あのときがいちばんたくさん本を読んだ』『あのときめちゃたくさん映画を見た』『あのとき先生が面白い課題をたくさん出してくれて、めちゃ楽しかった』『いろんなことやれて楽しかった』って言ってほしいなと思っている。今年のゴールイメージはそう言っている子どもたちの姿だ。」
なるほど~。おもしろい。
一気に気持ちが明るくなる。
どうしても、僕らは(なのかどうかは?だけど)「学校で」学ぶ、ことを基軸に考えてしまいがち。
学校という場所で。そこが「学ぶところ」(学ばせるところ、になると残念)
それは、僕らの居場所が「学校」だから…?だから、ある面仕方がない…。
でも、子どもにとってはそうではない。
実は、教師にとっても、そうなのかもしれないなー。「学校という場所で」学ばないといけない、わけではない、よね?
(ここで、以前ある方が言っていた「学校って、よくも悪くも、先生の職場ですよね。」という言葉を思い出したりして。確かにそうではある。)
うむー。
私は、「学ぶ場は学校だけではない」と思っているんだけど、でもどこかで「学校で」学んで欲しいって思っているってことだなあ。
それは、教員として、すべての子どもの幸せとよりよい地域・社会を一続きのものとして捉え、関わっていきたい、いかないといけないと思うから。
どこでも誰からでも学べるし、いろいろな学び方もある。
この状況下で、むしろ上手に学べている子もいるだろう。
一方で、その反対の子もいるだろう。
困っている子、厳しい環境の中にいる子もいるだろう。
学校という場所(だけ)にこだわらずに、それでも、どの子にも学ぶ楽しさを味わってもらうには、どうする?どうする?ってことなんだなあ。
そういうチャレンジ期間でもある。
「ああ、あのコロナのときがいちばん、『学校ってなんだ?』と考えられたなあ」
「あのときがいちばんたくさん本を読んだ」
「あのときめちゃたくさん教材について考えられた。現地にいったり体験もできた。』
「自分の目で、自分の体験を通して地域のよさを味わうことができた。」
「管理職の先生ともたくさん放して、楽しかった」
「離れているからこそ見える子どもの姿があることが分かった。」
「いろんなことやれて楽しかった」
などなど。
それが僕らのゴールイメージになっていればいいんだなあ。
学ぼうっと。