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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

ごちゃごちゃがある意味、シンプル?かもー

 新年になってからというもの、本当にいろいろな人と一緒に話す機会を得ています。
本当にありがたいことです。
 「話す機会」は、そのまま「学ぶ機会」になっています。
 そんな感覚を強く感じられるようになりました。以前よりずっと。

 なんでだろうな??この感覚の変化は。自分にとってとても心地よい感覚なんです。
 それは、今の自分と同じ事を感じているからとか同じような意見だからとか、そういうことだけでなくて、「よく分からないこと」「今はそうは思わないこと」とか「判断すらできないこと」も含めて、全部、
「おお…」
って感じなんです。

 特にこの1週間ほどは、本当にたくさん「聴き、話す」をしているので、頭の中はけっこうごちゃごちゃなんです。
 整理が付きません。
 話した内容も、ほんと多種多様ですし。

 繰り返しますが、ごちゃごちゃなんです。

 でも、なんかそのごちゃごちゃした中から、ときどき
(あれ?これってさ…・・・・・と同じこと?似ている?)
(あ、それって、この前考えた・・・とセットで考えるといいのかも!)
(お?いいこと思いついちゃった~)
みたいなことがたまに、ふっと浮かんできたりします。そういう瞬間がわりとあって嬉しい。

 先日、あるところで話を聞きながら考えて居たときに気になった言葉の1つ。
「汲み上げる」と「即興的」

 なんということのない言葉ではあります。
でも、「汲み上げる」という言葉から、井戸のイメージになり、「目には見えない地下水を、その時に必要な分だけ、ほんの一掬い選び取る」、そんな「写真」になって脳内に再現されます。「即興的」にしても、そうできるためのストックであるとか目に見えない、意図すらしていなかった準備があってそれが出てくる、みたいなイメージがあります。汲み上げる地下水がある、即興になったとしても出せるものがある、それらはきっと長い時間、無意識的にしろ意識的にしろ、少しずつたまってきた、そんなものであるはず。

 うーん、そんなことを考えながら、
「やっぱり、身の周りにはまだまだ学ぶことがたくさんあるなあ、焦ることはないけど、そう思って周りをきょろきょろしていたいなあ…」
なんてことを思ったんですね。

 だから、今のところはごちゃごちゃでも、まあいいやって思います。
むしろ、ごちゃごちゃで整理されていないほうが、思いがけない思いつきが生まれる可能性があるかもしれませんし。

 

 ごちゃごちゃのほうが、案外、仕切りで整理されていないぶんだけ、シンプルかも。

 うん、どんぶりみたいなもんだな…。それってある意味シンプル。

 どんぶり、バンザイ笑。

 

 しばらくはこの感覚を楽しみたいと思っています。それくらいの余白があったほうが、なんかいい感じがしています。

 

 

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