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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

トップダウン、ボトムアップ

 先日、ある方と話をしていて考えていたのがこのこと。

トップダウンボトムアップか」

 

 もちろん、どっちがいいか悪いか、という二択の問題ではないけど。

 

 以前の私なら、まあすぐに

トップダウンはなあ…」

と感じて、その言葉に強烈なマイナスイメージを抱いていました。その心は

(命令されてやるのはいやだ)

です。単純に言えば。

 正しくは

(命令されて、納得できないのにやらされるのはいやだ)

です。

 

 確かにそれなら、今でも嫌です笑。(誰でもそうだとは思います)

 

 トップダウンの対になるのは、たぶん「ボトムアップ」。イメージは、みんなで話し合って決める、合意形成をして決めていく、そんな感じ。

 

 そっちの方が「トップダウン」より断然ステキだ、そうあるべきだ、と思っていたんですが、最近は

(うーん、そうとも言い切れないかな…)

と思っています。

 

 「トップダウン」で困るのは、納得していないのに強制されることです。

「いいからやれ!」

みたいな。

 

 でも、その後に、なんで「やれ」になるのか、そこんところをお互いに(すぐにではなくても)納得できるようになれば、なったのなら、それは「あり」ですよね。

 

 何のためにそのことを「トップダウン」しているのか、そこのところが

(なるほど、そういうことか)

って分かれば、自分がまだ気がつかなかった次のステージにもしかしたらいけるかもしれません。

 いつまでも、自分の次元で「ボトムアップ」を繰り返し行っていても、そもそも「アップ」しないかもしれません。

 

 「ボトムアップ」風は、自分も傷つかなくてすみます。私の場合、そっちに「逃げる」こともあるなあ、と思います。正直に言うと。そうした方が自分が傷つかないで済むから。

(いやなやつ!)

って思われるリスクは減る笑。

 だから、納得はできないけど(まあ、いいやー)で終わらせて、合意形成したことにする…。

 

 でもそうしてしまったら、やっぱり「納得」していないから、なんかしっくりこない。いやな「トップダウン」と、結果同じ…。

 

 

 何のために。

 

 そこのところを、自分も大事につくって行きたいし一緒に話し合う他者にも持っていてほしい。そこから、お互いが、

「そうだね、それだったらこうしよう!」

と納得できればいい。きっかけが、トップダウン的であってもボトムアップ的であっても「何のために」があれば、どっちであっても共通するところはきっとある、見つけるまで聴き合う、そんなことができたらいい。

 

 ある意味、自立したもの同士であれば、トップダウンであろうがボトムアップであろうが、どっちでもよくて。そもそも、そこに2つの明確な区別なんか生じないだろうなあ。

 

 自分の意見が通ればいい、でもなく、忖度するでもなく。お互いのそれこそナラティブを受け入れながら一緒に前に進めればいいってことだな。

 

 簡単じゃないことは分かるけど、そうしていかないとね。

 

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