意見というのは、そもそも食い違うものなのだ。
完全に一致しているなんてことは、ない。
ただ、その違うところを全部が全部確かめはっきりさせていこうとすると切りがないから、そうしないだけ。
だから、どうしてもそのままでは困る…というところが意見の食い違いとして表出するってこと。だから、それはむしろいいことなんだと思う。
その食い違いは「意見の」であり、その人自身への否定ってことではない。だから、はじめはどこで歯車が噛み合っていないのか分からなくても、よくよく話をしさえすれば、大概
(ああ、そうか。そういうことが伝えたかったんだ)
ってことになる。お互いに。
お互いに、が大事。
「わかり合えない」のは、相手や自分が悪いのではなくて、「まだ対話が足りない」、それだけ。わかり合おうとすればわかり合えるし、そう思わなければそうならない。結構シンプル。
意見の食い違いをちゃんと表出できる関係性のほうが、より健全、とも言える。
時々意見がぶつかる、でも良好な関係が持続している、そんなところがちょうどいいのかも。