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本川良です。生活綴方教育に刺激を受け、その後『学び合い』の考え方に出会いました。 「「教室・学校と地域コミュニティ」について考える日々です。「お互いが尊重し合う関係の中でこそ,人はそれぞれの強みを発揮できる。」と考え、まずは足下から緩やかにチャレンジします。ホワイトボード・ミーティング®認定講師、日本イエナプラン教育専門教員資格認定。現在は福島県磐梯町教育委員会教育再デザインセンターに所属しています。

曖昧でいい

 

 人間は言語を獲得した。

 言語があるから、その場にないもの、抽象的なもの、フィクションをその場に出すことができ、ある面、共有できる。

 そして、文字があれば、それを時代を超えて伝達できる。

 

 言語があるから、理解が進む、そこにだけ目が向いていたかもしれない。

 

「言葉と情報を特化していけばいくほど、確からしさに不安が出る。曖昧なものは曖昧なままでいい。」

という言葉は、結構、大きな衝撃。

 

 そして、それはよく分かる気がする。

言葉があるからこそ、共感や信頼の限界性はある…、そう感じることも、そういえばあるのだ。言葉にすればするほど、説明すればするほど、伝わらない感。

 

 なんでだろう…、と思ったことこともある。

 

「曖昧なものは曖昧でいい。」

 

 そうか、曖昧なままでいい、という関係性が、それがある面「信頼」の1つでもあると思う。

 一緒にいるだけでいい、わからないままでもいい、そんな感じ。

 

 曖昧なものをそのままにしておく、そんな感じ。

 

「それでいい」という感覚、関係性。

 

 それは、やっぱり「効率的」じゃないこと自体が、手段でもあるなあ。

 

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