人間は言語を獲得した。
言語があるから、その場にないもの、抽象的なもの、フィクションをその場に出すことができ、ある面、共有できる。
そして、文字があれば、それを時代を超えて伝達できる。
言語があるから、理解が進む、そこにだけ目が向いていたかもしれない。
「言葉と情報を特化していけばいくほど、確からしさに不安が出る。曖昧なものは曖昧なままでいい。」
という言葉は、結構、大きな衝撃。
そして、それはよく分かる気がする。
言葉があるからこそ、共感や信頼の限界性はある…、そう感じることも、そういえばあるのだ。言葉にすればするほど、説明すればするほど、伝わらない感。
なんでだろう…、と思ったことこともある。
「曖昧なものは曖昧でいい。」
そうか、曖昧なままでいい、という関係性が、それがある面「信頼」の1つでもあると思う。
一緒にいるだけでいい、わからないままでもいい、そんな感じ。
曖昧なものをそのままにしておく、そんな感じ。
「それでいい」という感覚、関係性。
それは、やっぱり「効率的」じゃないこと自体が、手段でもあるなあ。